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おりづるタワー|建築家 三分一博志

瀬戸内の名建築(広島県)

建築家三分一博志設計のおりづるタワーと原爆ドーム

おりづるタワーは、世界遺産でもある原爆ドーム、平和記念公園など広島の風景を一望でき、風を感じることができる展望台。オーナーである松田哲也氏と建築家三分一博志氏による平和の祈りであった。

 

おりづるタワーができるまで

1978年竣工の旧耐震基準によって建築された広島東京海上ビルが売りに出されたとき、見学に訪れた株式会社広島マツダ会長兼CEO松田哲也氏は屋上で見た光景に一瞬で心を奪われたという。
「この景色は全世界の人が見るべきだ。この景色を見せることが私の使命だ」
ここからおりづるタワーのプロジェクトは始まった。

原爆ドームと広島東京海上ビル

原爆ドームと広島東京海上ビル

原爆の悲惨さだけでなく、復興や希望、未来などの「広島の豊かさ」を感じられる場所をつくりたいというコンセプトで始められたプロジェクトであるが、問題は山積していた。
 
それは、耐震性が現行基準の30~50%であること。また、耐震への対応による建替えについても既存の建物が約50mに対し、平和記念公園周辺の新設建物は広島市の条例で原爆ドームの高さ25mを超えることはできず、25mでの建替えとなると採算性や展望台としての魅力も低下してしまう。
 
そして、現状のビルのままでは原爆ドームの近隣ゆえに景観への配慮も必要であった。特にオフィスの照明や人の動きなどが夜間のドームの景観にも影響を及ぼしていた。

松田哲也氏が建物のリノベーションを依頼したのは高校時代からの友人であった三分一博志氏であった。

三分一博志の挑戦

プロジェクトのテーマ

最も感じてもらいたいのが、この地形から生まれる川の水と風の流でである。
 
それらは広島の街そのものであり、復興を支えてくれたのである。
平和が自然を育み、自然が人びとに平和な暮らしをもたらす。
 
原爆投下により広島には70年草木がはえないと言われたが、広島には川が7本、標高1300mの山から水が集まってきている。
 
また、瀬戸内の海水面は満干潮で約3mかわるが、満干潮は6時間サイクルで水を浄化している。夏は昼間は海から陸へ、夜には陸から海の風により空気を浄化している。広島は空気と水と太陽が一体となっている街である。

 
おりづるタワーからの平和記念公園

広島の街を感じてもらえるように、約50mの既存ビルを都市の小さな地形と見立て、あるものを活かし再生しようと考えた。
 
その地形に緩やかに歩いて登ることができるスロープを計画し、その上には風や地形、川の流れ、干満、加えて平和の大切さを見て感じてもらう丘を設けたいと考えた。


三分一博志氏によるリノベーション

さまざまな制限のなかでリノベーションは実施された。
三分一博志氏が求めたのは広島の街にふさわしい呼吸する建築への再生であった。そのためにはビルの骨組みのみを残し、風を取り入れる力を最大限に引き出すこととした。
 
ビルの息苦しい外壁をすべて取り払い、新たに付加するものは、この場所の風と水、太陽への適応と構造補強を同時に満たしながら、建物にさらなる魅力を与えるものでなければならなかった。
 
歩いて上ることが出来るスロープや腰掛けることができる丘を整備。西側のバルコニーと東側のスロープについては夏の直射光を避け風通しを良くするほかに、耐震の構造補強を兼ねた。ビルを覆う遮蔽ベールは昼間の「日射を遮る」というだけでなく、夜にはビルの居室内から放たれる明かりを遮る役割を果たしている。

おりづるタワー改修工事内容

改修工事イメージ図(土地活用モデル大賞資料より)

建物のバランスを悪化させていた重いコンクリート壁を撤去し、外壁を軽いカーテンウォールに置き換えることで、耐震性を確保。

おりづるタワー改修工事内容

改修工事イメージ図(土地活用モデル大賞資料より)

東側のスパイラルスロープと西側のバルコニーを一部耐震補強として既存躯体の両側に増築。補強鉄骨と既存部分をPC鋼棒により一体化し、さらにこれらの増築部分の直下には新たに杭を打設し、建物の荷重を安全に地盤に伝える処置をおこなっている。
おりづるタワー

西側遮蔽ベール

おりづるタワー スロープ

東側スロープ

躯体を新たな外装で覆い直射日光を遮る。西側はガラス面のセットバックとバルコニーを設置し圧迫感を軽減。また、ルーバーを設置し人の動きを目立たせなくしている。
2~11階のオフィス階のバルコニーからは夏季に吹く卓越風を流入させ空気を循環することで、空調設備への依存を低減した環境計画を取り入れた。
 
風を流入させることで、建物は呼吸をする。建物は風を止めることはなく、吸っては吐き、次の建物へ流していく。その建物だけが良ければいいという考えを改め、街に風の流れをつくった。
 
既存建物の柱や床はそのまま活用しているが、重いコンクリート壁の撤去や東西から挟み込むように鉄骨造の躯体で補強することで、現行の基準の1.5倍の耐震性能を確保することができた。

ひろしまの丘

おりづるタワー

ひろしまの丘にはスロープから上ることができる。

おりづるタワー ひろしまの丘
 
化粧には木材(床はヒノキ、天井はスギ。柱は鉄骨をヒノキで覆う)が使われ、空間を暖かくしている。天井高は展望台端部で5.3mある。

松田哲也氏は展望台は上を向けば空が見える屋上のようなものをイメージしていたが、三分一博志氏のアイデアで屋根付きの展望台となった。

展望台は、床に高低差があり使い方は自由な展望スペースとなっている。天井はあるものの、窓ガラスは一切無く、メッシュのワイヤーで覆われており、自然の風が屋上を抜けていき開放感を感じることができる。一方で、床・柱・天井はすべて木材でできていて、まるで神社の中にいるような神聖な感覚にも包まれる。
建築家三分一博志の設計によるおりづるタワーから見た原爆ドーム

おりずるタワーから見た原爆ドーム

原爆ドームと広島の街並みや開発が進む広島中央公園(サッカースタジアム)を一望でき、原爆の悲惨さだけでなく、復興や希望、未来などの「広島の豊かさ」や「歴史」を見ることができる。
 
広島の風に当たりながら広島の風景を一望できる「ひろしまの丘」は、過去から未来、日常と非日常を感じることができる平和を祈る展望台となっていた。


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