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犬島精錬所美術館の魅力を探る|建築家 三分一博志

岡山の名建築

建築家三分一博志による犬島精錬所美術館

犬島精錬所美術館は、わずか10年で閉鎖となり廃墟となった瀬戸内海の犬島に建設された銅の精錬所を再生した美術館です。廃墟となった精錬所に新たな息吹を吹き込んだのは、アーティストの柳幸典氏、ベネッセコーポレーション会長(当時)の福武總一郎氏そして建築家三分一博志氏であった。建築家三分一博志氏の新たな挑戦となった犬島精錬所美術館の魅力をみていきます。

 
犬島精錬所美術館

犬島アートプロジェクト

アーティスト柳幸典と犬島の出会い

柳幸典氏は1990年に渡米しニューヨークで活動。1993年には第45回ヴェネチア・ビエンナーレに選ばれ、アペルト部門を日本人で初めて受賞。ニューヨーク近代美術館やイギリスのテート・ギャラリーなど多くの美術館に作品が収蔵され、ユーモアと社会性を帯びた挑発的作品は常に物議を起こし、その創作活動は美術の枠に収まっていないアーティストである。
 
柳幸典氏は1992年に直島のベネッセハウスで個展を行った際に瀬戸内の美しさに感動。その時にヨットでの島巡りにて犬島を訪問。犬島を見て閃いたのが産業遺構である精錬所跡地を美術館として再生させることができないかであった。1996年から福武總一郎氏に相談をしながら進め、土地取得に7年、建物の設計に3年かけたのが、犬島アートプロジェクトであった。

犬島精錬所美術館入口
 

柳幸典氏はギリシャ神話のイカロスをヒントとして犬島精錬所美術館の建物と一体となった作品をつくりあげた。イカロス神話の技術者で発明家と知られる父ダイダロスは地下の迷宮の創造者であり、気流の上昇を活用した塔からの飛翔や太陽熱など神話で登場する人物やモチーフが作品と重なります。

ギリシャ神話イカロスあらすじ

ダイダロスはイカロスの父で、細工の名人であった。ダイダロスがミノス王のためにラビュリンス(迷宮)を造った。
ダイダロスは後にミノス王から見放され、息子のイカロスと共に、ある塔に閉じ込められてしまった。
その塔を抜け出すために、鳥の羽を集めて、大きな翼を造った。大きい羽は糸でとめ、小さい羽は蝋(ろう)でとめた。
翼が完成した。二人は翼を背中につけた。
父ダイダロスは、息子のイカロスに言う。
「イカロスよ、空の中くらいの高さを飛ぶのだよ。あまり低く飛ぶと霧が翼の邪魔をするし、あまり高く飛ぶと、太陽の熱で溶けてしまうから。」
二人は飛んだ。
農作業中の人々や羊飼いたちが二人の姿を見て、神々が空を飛んでいるのだと思った。
イカロスは調子に乗ってしまった。父の忠告を忘れ、高く、高く飛んでしまった。
太陽に近づくと、羽をとめた蝋(ろう)が溶けてしまった。イカロスは羽を失い、青海原に落ちてしまった。
以後、その海はイカロスと名づけられた。

もう一つこの神話から着想を得た要素が三島由紀夫でした。1967年3月14日F104DJ機の後部座席に搭乗した三島由紀夫は即興で「イカロス」という長詩をつくっています。

イカロス
 
私はそもそも天に属するのか?
さうでなければ何故天は
かくも絶えざる青の注視を私へ投げかけ
私をいざなひ心もそらに
もつと高くもつと高く
人間的なものよりはるかに高みへ
たえず私をおびき寄せる?
 
均衡は厳密に考究され
飛翔は合理的に計算され
何一つ狂ほしいものはない筈なのに
何故かくも昇天の欲望は
それ自体が狂気に似てゐるのか?
 
・・・
犬島精錬所美術館
犬島精錬所美術館
 

文化を顧みず経済成長のみを追及していた戦後日本を批判し、最後には自害するような「パフォーマンス」まで行った芸術家三島由紀夫を近代化の過程で置き去りになり廃墟と化した犬島精錬所、そしてイカロスの神話と融合させることを題材としているのが犬島精錬所美術館であった。

福武總一郎、柳幸典氏と三分一博志氏との協業

福武總一郎氏は産業廃棄物の投棄場となるという話があった犬島精錬跡地を買い取り柳幸典氏と準備を進めていった。
 

一方、広島を拠点として建築家の活動を開始した三分一博志氏は日本海側に面した山口県北西部の海水浴場のリニューアル「Running Green Project」を坂野博行氏と提案。
そこは開発により砂浜が無くなって環境が劣化していった海水浴場であった。三分一博志氏は新たに植栽しても立ち枯れる自然の防砂林に代わり、建築がその役割を担うこととし、 アーチ状の木製骨格は高さ4m全長240m、全体がツタによって覆われ、周辺環境をコントロールしていく施設を実現させた。それは建築をつくるのではなく、緑の成長を手助けするプロジェクトであった。
この案件をきっかけに三分一博志氏は「自然に柔な環境を重視した建物」が自分の生涯を通じて取組んでいくテーマであると確信したのであった。
 
福武總一郎氏はこの場所の魅力を引き出すには東京の建築家ではなく、瀬戸内の地域・気候をよく理解し、地域の自然環境と一体となったメッセージを発信できる人と考えていた。「カーサ・ブルータス」の編集長だった吉家千絵子氏より三分一博志氏の仕事を紹介された福武總一郎氏は直接三分一博志氏に電話をし犬島を案内した。柳幸典氏によるコンセプトの提案から始まった犬島精錬所美術館は三分一博志氏により産業遺跡をアートワークとして再生されるプロジェクトとして具現化していった。

犬島精錬所美術館の魅力

海と花崗岩の島の自然の中で精錬所跡の煙突群がそびえ立っている。
独特の雰囲気を持った光景であるが、感動的な一群となっている。「あるものを活かし、無いものを創る」というコンセプトの下に、実によく考え抜かれたユニークな施設となった。
 
建築家三分一博志による犬島精錬所美術館

建物には精錬時にできたカラミ煉瓦のほか、島内で採石された犬島石など場所に由来した素材が随所に仕様されています。
美術館内部は展示と建築、空気の流が一体となった構成とし、夏場は長い通路を経て地中熱で冷却された空気がボルト状の空間を暖められることで煙突効果により排気されており、建物全体で空気の流を生み出しています。一方、冬場はサンギャラリーで暖められた空気がボールト状の空間に送り込まれる仕組みで、建物内で季節に応じ効果的な気流が生まれています。
 

犬島精錬所美術館
 
それぞれの自然エネルギーの調整をつかさどる器官であるサンギャラリー、アースギャラリー、エナジーホール、チムニーホールはそれぞれが装置としての役割を果たしながら独自の素晴らし空間としてつくられている。それぞれの場所で最適な解として与えられた材料や構造と構法は自然エネルギーを引き出すことを目指しながら、同時に独自の展示空間としての役割を果たしている。
 
犬島精錬所美術館
犬島精錬所美術館
犬島精錬所美術館

銅の精錬の際に出た副産物であるカラミ煉瓦は大量の鉄やガラスを含み、蓄熱性が高い非常に特殊な熱特性を持っている。このカラミ煉瓦を涼しい地中の温度で冷まし、建物とつなげられた高さ40m、直径3mにもなる精錬所の巨大な煙突がもたらす「煙突効果」により、カラミ煉瓦で冷やされた空気が館内を循環する仕組みを構築している。

三分一博志のメッセージ

マニュフェストは「建築は地球の一部であり、建築を考えるという事は、地球のディテールを考えること」
美しい景色ばかりと思っていた瀬戸内で初めて破壊された尽くした自然を見た島。江戸時代より石材が掘り出され、その役目が終わった後、明治・大正期には銅の精錬所として創業したがわずか10年で閉鎖。経済活動によって切り刻み搾取された島を、経済に価値を見ない新しい価値を与え再生しようと試みた。

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