建築家 鬼頭梓
建築家鬼頭梓氏(1926-2008年)は東京に生まれ、青年期を戦時下に送りました。敗戦後の1946年に東京帝国大学第一工学部建築学科に入学。建築学生であった鬼頭梓氏は、新宿の焦土に建ちあがった木造の紀伊國屋書店に魅せられ、設計した前川國男建築設計事務所に入所。
入所後は建築家・前川國男氏の下で研鑽を積み、神奈川県立音楽堂(1954年)を担当した大高正人氏のもとで図書館を設計。そして、大高正人氏の推薦にて世田谷区民会館(1959年)の担当を任されるなど前川國男建築設計事務所の中心的存在となりました。
独立後は、その建築に対する精神を守り受け継ぎ、また自身の設計活動の中においても誠実に実践。そして、民主主義時代に相応しい開架式の閲覧室を持つ戦後型図書館建築のパイオニアとして、全国に30以上の図書館をつくり大きな足跡を残しました。

鬼頭梓による山口県立美術館
1926年 東京吉祥寺生まれ
1950年 東京帝国大学第一工学部建築学科卒業
前川國男建築設計事務所に入所
多くの公共建築や図書館建築を担当
1964年 前川國男建築設計事務所を退所し独立
1968年 東京経済大学図書館竣工
1970年 山梨県立図書館
1973年 日野市立中央図書館竣工
1973年 山口県立図書館竣工
1989年 洲本図書館竣工
2005年 函館中央図書館竣工
最後の函館中央図書館まで30以上の図書館を設計してきた
2008年 逝去82歳
妻である當子(まさこ)氏は、進駐軍GHQの民主化政策でつくられた慶応大学文学部図書館学科の第一期生であった。卒業後は国際基督教大学図書館に奉職し、後に館長を務めた。鬼頭梓氏は、もともと図書館が嫌いだったそうであるが、彼女の影響を受け図書館への関心を深めていった。鬼頭氏の自宅では、當子氏の同級生ら若き司書を中心に民主主義の基盤となる図書館論議がおこなわれていました。
※国際基督教大学の図書館は、アントニン・レーモンド氏が設計した日本で最初の全面開架として開館した画期的な図書館です。
山口県立図書館
山口県立図書館の館内の特徴は、トップライト下にあるステージのようになっている高い吹き抜けの中央ホール(開架室)です。そして、スロープを中心とした建物構成はこの建物の要となっています。

トップライトから柔らかな外光が注ぐ
来訪者は、書棚と本を選ぶ人の姿を見ながら、スロープで中一階と二階の書架、閲覧コーナーへと誘導されます。

鬼頭梓の図書館へのこだわり
戦前の図書館は、目録で図書を探し、その図書番号をもとに職員が書庫から本を取り出す「閉架式」でした。
館内の書架から本を選び、気に入った席で読書するという「開架式」となったのは戦後になってからでした。
鬼頭梓氏が図書館に対し厳として持っていた共通の本質
- 図書館は皆の共有財産であり、皆が共同して利用するもの
- 図書館は本の場所である。個人の書斎とは本質的に異なり、皆の共有財産としての本の場所である。
以上の2点の本質に基づき、図書館は開架式による本と人との交流する空間であり、図書館員がそれを媒介する空間として創らなければならない。

フラット・フロア、ノーステップ

カウンターで明確に区別された空間
鬼頭梓氏の図書館に対する原則
- 平らな床を持った広い空間(フラット・フロア、ノーステップ)を必要とする。
- 図書館員のスペースと利用者のスペースを明確に区分けする。
- 2つのスペースの領域の接点には、カウンターが設けられる。
- 館内での利用者の自由を最大限にするために、チェックポイントである入口は極力一か所にする。
床を平らにし、階段を無くすことで、足が不自由な人にとっても自由に使える図書館になり、周辺の社会と同じレベルに日常生活と同じ平面の延長上にその活動を展開させることとなりました。それは、図書館が皆のものであり、皆が共同して利用することができる場所であるということを、端的に示すものでありました。
図書館外観


図書館空間
読書という行為は、極めて個人的で内面的な精神活動であるが、それにふさわしい場所と雰囲気とを、この開放的な広場の中につくり出そうとすることは、パブリックでプライベートな、プライベートでパブリックな空間をつくることです。

鬼頭梓氏がつくった山口県立図書館は、中心部に柱が無く平面で広い空間、自然光や質感のあるコンクリートを使った無味乾燥にならない人間的な空間となっていました。
1973年に開館した山口県立山口図書館は、同じ年にオープンした東京の日野市立中央図書館と共に、鬼頭梓氏への高い評価を決定づけることになりました。
Related Sites
瀬戸内には1950年代から60年代にかけての丹下健三の初期の名建築が点在しています。初期の作品はル・コルビュジエの影響を色濃く受けながら、日本的要素を融合させた作品からブルータリズムへと転換していく過程を楽しむことができます。
高松市には1950年代から70年代前半にかけてのモダニズム建築が点在しています。香川県庁舎から始まった戦後復興はル・コルビュジエの影響を色濃く受けながらも、次第に地元の風土に根ざした建物へと転換していく過程を楽しむことができます。
同じル・コルビュジエ建築に憧憬を持った同世代である東京大学教授の丹下健三氏は神聖な造形美、モニュメンタルな建築を主体とした。一方の京都大学教授の増田友也氏は哲学的思考に基づく建築論を専門とし静かな存在感を主体としていた。鳴門市文化会館は増田友也氏による渾身の遺作となった。