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三分一博志の名建築の魅力を探る

動く素材の建築 建築家 三分一博志

建築家三分一博志によるおりづるタワー

おりづるタワー展望台

動く素材を建築

三分一博志は、瀬戸内を中心に活動し、丹念な現場のリサーチにより「動く素材」を読み解いていき、その場所に適した作品を提供し続けています。自然自体を「建材」として建築に取り込んでいく建築家三分一博志氏の魅力を探ります。

建築家 三分一博志

建築家三分一博志によるancora production + pizzeria

ancora production + pizzeria

 

経歴
1968年 山口県生まれ
1992年 東京理科大学理工学部建築学科
1992年 小川晋一アトリエ
1997年 三分一博志建築設計事務所設立
主要作品
2010年  六甲枝垂れ
2015年  直島ホール
日本建築大賞、日本建築学会賞、村野藤吾賞、Wallpaper Design Award大賞(イギリス)などを受賞している。
三分一博志の建築場所分布図

主要作品所在場所

犬島精錬所美術館

(2008年竣工)
犬島精錬所美術館

犬島の再生

江戸期の犬島は花崗岩が産出することから石の産業で栄え、大阪城石垣をはじめ各地へ運び出された。島の約1/3を切り取られ石切の最盛期を終える。1909年には銅の精錬所が操業し犬島の繁栄期を迎えるも、銅の暴落により10年で閉鎖。その後100年近く廃墟として放置されてきた。島全域には石切場の跡が池として点在。また、東の岸に沿って、黒い煉瓦とスラグ(鉱石を精錬する際の副産物)が散乱していた。

犬島石切場跡

石切場跡

犬島精錬所跡

黒い煉瓦と花崗岩の石垣

犬島精錬所における動く素材

三分一博志氏は精錬所煙突群と太陽の組み合わせは、犬島の空気を動かすための有効な動力源になると直感した。さらに黒い煉瓦は太陽の熱を素早く吸収し、多く蓄えられる性質をもつことがその後の分析で分かってきた。太陽の熱で空気を暖める新しい素材との出会いでもあった。

犬島精錬所美術館空気の流れ

空気の流れイメージ図

建築家三分一博志による犬島精錬所美術館
空気は太陽と煙突によって美術館の中へ引き込まれる。夏は地中の通路によって冷やされ、冬はカラミ煉瓦のサンルームで太陽によって暖められる。ふたつの空気が出会うホールには犬島の石切りの歴史を伝える巨石が置かれている。熱を蓄える石の特性を生かし、空間の夏の温度を安定させる。動く素材と一緒に巡る美術館であった。

「破壊と創造」の文明、つまり「在るものを壊し、新しいものをつくり続け、肥大化していく文明」のあり方に深い疑念を憶えた福武財団の福武總一郎理事は「在るものを活かし、無いものを創る」ことが地方の、そして日本の再生の理念であると確信して犬島精錬所の再生に取組んだが、それをみごと実現したのは建築家三分一博志氏であった。


六甲枝垂れ

(2010年竣工)
六甲枝しぐれ

六甲山の環境

六甲山の頂きからは日本海と瀬戸内海、ふたつの海が望める。標高900mのところに建つ展望台。ここでの環境は冬に樹氷が付くなど瀬戸内の多様さの発見であった。
 

六甲山からの風景

六甲山山頂における動く素材

山頂には川もなければ水源もない。水はどこから運ばれてくるのか。
「水は太陽によって運ばれる」
夏は南の瀬戸内海に注がれた太陽によって水は雲・霧となり、雨へと変わり山頂に水をもたらす。
冬は北の日本海から運ばれてくる湿った空気によって山頂へ雪や氷として水をもたらす。
 
山上では水が気体・液体・個体とさまざまに変化し「水」の循環がこの場所の美しさを引き立てている。

六甲枝しぐれ

枝葉や葉脈のようなデザイン

六甲枝しぐれ空気の流れ

空気の流れイメージ図

冬の六甲枝しぐれ
リサーチの結果、樹氷は湿度ほぼ100%、温度マイナス5℃以下の水蒸気が風速5m/s程度で、枝などの物質に衝突し、衝撃振動を受けることによって、結晶化していくことが立証された。どれかひとつでも欠けると着氷は見られない。
展望台の枝葉のディティールは樹氷を着氷させることから導き出されている。
展望台周囲の地形には雨水を貯えられる氷棚を設け、地下に氷室がある。古くから六甲にある氷室の文化を継承している。冬の氷は夏まで貯え、氷が冷気をもたらしてくれる。
六甲枝しぐれ
六甲枝しぐれ
冬から夏へ。水は再び個体から液体へ変わる。ここでは、解けた氷が空間の熱を奪ってくれる。涼しい風が肘掛けから流れてくる。その後また気体へと変わり、トップライトから空へ戻っていく。水は常に地球を循環している
六甲枝しぐれと神戸の夜景
 
六甲枝しぐれは空気、氷、水、樹氷、すべて六甲の動く素材による建築であった。
 

弥山展望台

(2013年竣工)
弥山展望台
厳島神社

厳島神社

弥山の環境
日本三景の一つ「安芸の宮島」は信仰をはじめ、舞楽の舞台、合戦の地として、たびたび歴史に登場してきた地である。弥山を開基した弘法大師、厳島神社の社殿を造営してきた平清盛、この地をモチーフに描かれた芸術作品も多く創造されています。

豊かな自然が素晴らしい絶景地は世界遺産の一つとして古今東西多くの人々に愛されてきました。

弥山における動く素材

弥山展望台からの風景
 

三分一博志氏は少年期から毎年正月に弥山へ登り、ご来光を拝んできた。最も美しく拝める、いつもの山頂に「座」して、と決まっていた。宮島弥山は何度登っても常に違う美しさを魅せる。それを伝えるには変化し続ける自然、つまり動く素材を「座」としてゆっくり感じてもらうことが弥山そのままを伝えることだと直感したのである。


直島ホール

(2015年竣工)
直島ホール

直島の環境

立地する直島の本村は他の瀬戸内の集落と異なり城下町であったため、集落が碁盤目状に整理され、一つひとつの建物が塀に囲まれた屋敷型となっていた。本村の谷の上にはため池があり、その水は棚田、集落の水路、海へと順々に利用されていた。地下水脈は集落の生活水源としての井戸を潤していた。
民家を調査すると多くの民家では庭と続き間がセットとなり、谷に平行な南北軸に沿った風を導くつくりとなっていた。

直島の街並み

真っ直ぐな道路と水路

直島における動く素材

直島の風の流れ

直島の風の流れ概略図

日本人の根底には動く素材を整えていく感覚があるのではないかとの仮説のもと直島では、個々の建築や街区、水路などを通して、島全体の水や空気など「動く素材」を浮き上がらせ、その美しさや大切さを再認識していった。
 
直島ホールの大屋根は総檜葺きで直島の集落に多く見られる伝統的な入母屋形状に直島の風向に即した風穴を開けてある。この形状は、直島の動く素材の流れを可視化すると同時に空気の圧力差を生み、ホール内の空気を循環させることができる。
夏に窓を閉じても空気が緩やかに動くことで熱気が抜け、さまざまな活動ができるようになっている。流体形の天井は漆喰、壁は土壁、体育室の床は総檜、その回りは直島のにがりを使った三和土など天然素材で構成されている。

直島ホール風の穴

直島ホール風の穴

直島ホール内側
風穴の内側の形を中央に向けてすぼませることにより、空気の流れを滑らかにし、圧力の差が室内の空気を引き上げています。
直島の風の特徴を活かした構造となっています。
直島ホール風の穴

直島ホール風の穴

ホールの屋根には、従来の入母屋造りにはない大きな風穴を開けています。本村の風は、夏は扇状地の地形に沿って南から北へ向かって吹いています。屋根の風穴を通り抜ける風は、ホールの空気を自然の力で循環させています。
直島ホール

400年前から届けられた本村の谷の「風のメッセージ」をこの大屋根がさらに後世へ届けていくことになる。


おりづるタワー

(2016年竣工)
建築家三分一博志のおりづるタワー

広島の環境

おりづるタワー

広島の風のイメージ

おりづるタワーからの風景

広島の丘で寛ぐ人々と背後の山々

広島の水源は数十キロ離れた山々にあり、標高は1,000mを超える。雪解け水などからなる清らかな流れは中流では棚田を潤し、広島の街に注ぎ込み、やがて宮島などの島々が浮かぶ瀬戸の海へと注がれる。
三分一博志氏が広島を訪れる人びとに最も感じてもらいたいのが、この地形から生まれる川の水と風の流れであった。それらは広島の街そのものであり、復興をささえたのである。

広島における動く素材

あの日、人類はかけがえのない広島の街を汚してしまった。しかし広島の街は呼吸を止めることはなかった。山々から三角州、海へと続く地形は残っていた。広島の復興を手助けしたのは、その地形から生まれる風や水などの動く素材であった。太古より変わらぬ自然の営みが街を浄化し続けていた。
そして、三分一博志氏は高さ約50mの既存ビルも都市の小さな地形と見立て、あるものを活かし再生した。その地形に緩やかに歩いて登ることができるスロープを計画し、その上には風や地形、川の流れ、干満、加えて平和の大切さを見て感じてもらう丘を設けたいと考えた。

おりづるタワーと原爆ドーム
おりづるタワー

スパイラルスロープ

おりづるタワー

ひろしまの丘

おりづるタワーから見た平和記念公園
 

70年草木も生えないと言われた広島。その70年が過ぎた現在、この丘に腰を下ろすと広島がいかに美しく世界に類を見ない復興を遂げた街であることが理解できる。人類は改めて何が大切か認識する必要がある。このおりづるタワーは世界でもっとも自然の偉大さを感じることができる場所である。


Naoshima Plan 2019「水」

(2019年竣工)
Naoshima Plan 2019「水」
The Naoshima Plan

暖簾が風を可視化させています

直島の環境
中世から続く直島本村の集落の風との付き合い方は南北続き間と庭の関係に現れています。それぞれの民家の塀の内側に風の通り道が存在し、それらが連なることで集落全体へ風がリレーされています。

直島本村地区の旧家には、家の南北に続き間が設けられ、どの家にも続き間の南北には庭がありました。そして同じ造りの家が風の向きに沿って建てられていました。

 

風が家の続き間を抜けて、次の家、また次の家と抜けていくという構造になっていました。

The Naoshima Plan

中庭

The Naoshima Plan

続き間

「風のリレー」を再現するため、三分一博志氏は増築されていた建物を取り除き、風が南から北へ抜ける旧家の本来の姿を蘇らせました。

The Naoshima Plan
地下の豊かな水脈を井戸から汲み上げた伏流水を湛える水盤を設置し、「風のリレー」に清らかな「水」を加え、本村そのもののもつ知的な思想を全身で感じる空間としました。

 

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高松市には1950年代から70年代前半にかけてのモダニズム建築が点在しています。香川県庁舎から始まった戦後復興はル・コルビュジエの影響を色濃く受けながらも、次第に地元の風土に根ざした建物へと転換していく過程を楽しむことができます。