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丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の魅力を探る

香川の名建築|建築家 谷口吉生

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館は、猪熊画伯の「美術館もひとつの芸術作品でなければいけないし、それは美術のコンセプトに相応しいものでなければならない」考えから、建築家谷口吉生氏との対話によって美術館の設計が進められた。猪熊画伯が目指したのは他の美術館の手本となるような、また世界にも通用するような美術館であった。

 
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
 

美術館設計

猪熊弦一郎と建築家谷口吉生との対話

猪熊画伯は美術館の設計にあたって谷口吉生氏に「周辺の街と一体化させること」「おおらかな空間をつくること」「子どもたちの感性が育つ場所にすること」の3つを希望した。
 
建築中における画家と建築家の対話は、作品と展示空間の関係に始まり、大型のオブジェと建築の関係、さらにサイン類のデザインから家具類の選択まで細部に及んだ。
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館3階広場

一般的に美術館は作品を有害な紫外線から保護させるため、また落ち着いて鑑賞できるように外部からの干渉を避けるよう窓のない閉ざされた箱となっている。この美術館では猪熊画伯の大らかな空間を実現するため、常設展示室の展示室Bは1階から吹き抜けていて天井も高くなっており開放的な展示室となっている。そして、壁の最上部と天井面のトップライトの双方から自然光を採り入れているが、豊富な自然光は床面近くでは光が撹拌され、まぶしさや明暗のコントラストを感じることはなく落ち着いた空間となったいた。

猪熊弦一郎現代美術館
猪熊弦一郎現代美術館
 

創造の広場

谷口吉生氏は美術館のファサードを美術館のサインにすると同時に、駅前広場の一画を構成する重要な要素にしたいと考えた。建物の正面を絵の額縁のような大胆なデザインにして、そこに壁画を配置することを考えた。
 
谷口吉生氏は美術館の正面を重要な場所と考えたが、猪熊画伯も壁画を含む正面の広場を美術館のコンセプトを象徴する大切な場所と考えていた。
猪熊画伯は「人々がこの広場に立ったとき、空間の広さと美しさを感じて、それぞれの人に新たな創造の意欲が湧き出るような場所にしたかった。」と話し、壁画の名称を「創造の広場」とした。
 

丸亀市猪熊弦一郎美術館
 

猪熊画伯は壁画について「子どものいたずら書きのように描いた。子供たちが壁画を見て、僕にも描けると思って親しみを持って美術館に来てくれたらうれしい。」と話していた。
 
壁画を主役としたこの広場は、同時に大きな庇下の空間となっており、彫刻作品なども配されて、常時開放された美術館の一部を形成している。

谷口吉生氏は、建築は本質的に器であり、外部空間を取り込み、人を誘い入れる形である門構えは、人とアートが出会い、人と人が出会う美術館の建築に有効な形とすることが必要と考えている。今回の美術館では駅前の広場のスケールを考慮しながら門構えのプロポーションを決め、その中に白い石のテクスチャに刻まれた壁面、スカイライトから光を受ける大階段、その対比としての小さな入口と立ち上がる2本のダクトなど、これらの要素によってファサードを構成した。

猪熊弦一郎現代美術館

ゲート

大きなファサードの構えとは対照的に正方形の壁に目隠しされた控えめなエントランスは千利休が取り入れた茶室のにじり口のように小さな空間となっている。外観の非日常感から天井の低いエントランスに入ることで一度人間の身体感覚に戻ることができる。
スカイライトが美しい大階段の壁
スカイライトから射し込む太陽光は時刻や季節、天候によって変化する。
深く射し込まれた太陽光は美しい影をつくっている。
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

スカイライトから光とオブジェ「草」

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館3階広場

3階滝のある広場「トライアングル・アンド・レインボー」

猪熊弦一郎

経歴

1902年高松市生まれ。
旧制丸亀中学校(現 香川県立丸亀高等学校)卒業
東京美術学校(現 東京藝術大学)に進学。藤島武二氏に師事
1936年に小磯良平氏らと「新制作派協会」を発足
1938年渡仏し、マティス、ピカソと交流
 
帰国後は三越百貨店の包装紙「華ひらく」のデザインや慶應義塾大学学生ホール、上野駅中央コンコースの壁画などを制作。
猪熊氏主導にて1949年に新制作派協会に建築部を新設し、メンバーには前川國男氏、丹下健三氏、谷口吉郎氏などが在籍した。
 
1955年ニューヨークにて約20年間制作を行う
1975年東京、ハワイで制作活動を行う
1991年丸亀市猪熊弦一郎現代美術館開館
(猪熊氏から寄贈を受けた約2万点を所蔵)
1993年逝去 享年90

猪熊弦一郎自画像と婦人像

「自画像」と「婦人像(妻文子)」

華ひらく

日本の百貨店初となるオリジナル包装紙「華ひらく」が誕生したのは1950年。猪熊画伯は戦後間もない頃、氏が千葉の犬吠埼を散策中に海岸で波に洗われる石を見て、「波にも負けずに頑固で強く」「自然の作る造形の美しさ」をテーマに制作された。
 
それは、丸みを帯びた柔らかな抽象形が幾度にも集う斬新なデザインとなった。そして当時三越宣伝部の社員で後に漫画家となったやなせたかし氏により「Mitukoshi」の筆記体が書き込まれた。

猪熊弦一郎作「華ひらく」

華ひらく


美術館と周辺の都市デザイン

駅前広場と美術館

谷口吉生氏は、美術館は新しく整備される駅前地区に建設されるため、美術館そのものだけではなく、駅前広場を含めた周りの環境も一体的にデザインすことを丸亀市に提案した。都市計画とコラボレーションすることで、町全体が一つのコンセプトに基づき、調和のある設計がなされるべきと考えていたのである。丸亀市は新しく生まれ変わる駅周辺にふさわしいものになると判断し谷口吉生氏の提案を受け入れ、駅前広場のランドスケープデザイン(外構の設計)をハーバード大学の教授であったピーター・ウォーカー氏に、広場周辺の総合的なコーディネートを都市設計の第一人者である加藤源氏に依頼した。
そのため美術館の設計も、美術館のエントランスから3階の広場までを貫通する大階段を作り、そこを駅前広場の延長線とした。

猪熊弦一郎現代美術館大階段

大階段

丸亀駅前広場

JR丸亀駅前広場

ランドスケープ

加藤氏は「人の集まる広場」にしたいと考え、ピーター・ウォーカー氏に駅前広場は丸亀市の新しい顔になること、周辺と一体になってひとつのコミュニティー・スペースを構成していること、そして市民の自由な使い方を誘発する空間にしてほしいことなどを依頼した。
 
ピーター・ウォーカー氏は鉄道の高架や道路で切断される各施設の全体性を表現するとともに、種類の異なる空間を接続させる効果を考え、敷地全体が大きなストライプを描くようデザインした。
 
また、周囲を大規模に改造することなく159個の自然石を円状に配置した。デザインが前に出てくるのではなく、周囲を引き立てることによって、この場所の価値を高めた。
 

猪熊弦一郎美術館と丸亀駅前広場
ピーター・ウォーカー氏は柔らかな表情をもつ敷石とアスファルトをストライプ状に並べることで、硬質な美術館に対してベーブメントを対峙させた。鉄道のもつベクトルに垂直に配置されたこのストライプは、周辺環境への拡張を示唆しつつも、この広場全体を一つに接続しているようにしている。

JR丸亀駅前のランドスケープは美術館に至る駅前の複雑な景観と動線を見事にまとめ上げ、都市的な環境の中における美術館のあり方を示した。

世界に通用する美術館

1993(平成5)年ニューヨーク近代美術館(MoMA)の建築部チーフキュレータのテレンス・ライリー氏が予告なしにミモカ(MIMOCA)を訪れた。見学を終えたライリー氏はファサードやおおらかな空間、さらに周辺の街との関連性が素晴らしいと評価し、設計した建築家は誰かと尋ねられた。
猪熊弦一郎現代美術館ファサード

ライリー氏はMoMAが大規模な増築工事を行うにあたって、設計コンペティションに招待する建築家を世界中から探していた。ライリー氏はニューヨーク・タイムズ紙に掲載されたミモカの小さな写真を見て訪れたのであった。有名無名に関係なく設計された建築物本位で人選をしていたのである。
 
テレンス・ライリー氏がミモカを訪れ称賛されていたことを猪熊画伯に報告すると「とても嬉しいニュースだ」と大変喜んでいたが、その二週間後に急逝した。谷口吉生氏のMoMA増築工事設計者選出の朗報を知ることは出来なかった。
 
1996年谷口吉生氏が世界で10人の建築家としてMoMAの設計選考に選ばれた。翌年谷口吉生氏が選考を経てMoMAの設計者に選ばれた。
 
猪熊画伯は20年間に及んだニューヨーク時代に一週間に一度はマンハッタンの大通りに点在する画廊やMoMA、メトロポリタン美術館などを訪れていた。特にMoMAは展示会に出品したこともあるお気に入りの美術館で、日本から訪れた知人や留学生にも勧め、案内役として度々同行していた。
建築にも造詣の深い猪熊画伯と美術館設計の第一人者である谷口吉生氏が共に造った美術館は世界に通用する最高の美術館であった。
 
この美術館を企画された丸亀市の取組みに敬意を評したい。



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