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今治市市庁舎群の魅力を探る|建築家 丹下健三

愛媛の名建築

建築家丹下健三の設計による今治市公会堂

大阪府で生まれた丹下健三は、7歳の時に父の出身地である今治に移り住みました。丹下健三にとって今治は故郷であり、その縁で多数の丹下建築が今治市にはあります。その中心的な施設である今治市庁舎群の魅力をみていきます。

 
建築家丹下健三の設計による今治市役所、公会堂

今治市役所(左)、公会堂(右)

建築家丹下健三による今治市民会館

今治市民会館

建築家丹下健三による今治市公会堂

今治市公会堂

今治市庁舎群の計画

設計のいきさつ

丹下健三の「一本の鉛筆から」(日本経済新聞社、1985年)にいきさつが記載されています。
 
中学に入ってから、父が別宮という静かな住宅地に新しい家を建てた。[中略]新しい家の筋向かいは、代々庄屋さんの田坂家であった。ご三男が中学の先輩で、しょっちゅう声を掛けて下さったが、この方がのちに今治市長になられた田坂敬三郎さんである。
市長の時代に、「今治にも、何か建ててほしい」と再三誘われ、昭和三十二年に、市庁舎の設計をさせて頂いている。

敷地計画

市庁舎、公会堂の建設予定地は、城下町を基盤として発展した旧市街とその外縁で発達した新市街との境界となる地点であった。敷地は旧市街と新市街を結ぶ十字の主要道の交点にも位置しています。
 
丹下健三氏はその敷地に市庁舎、公会堂と同時に市民広場の建設を提案しました。最終的に敷地前面を通る主要道路の延長線上に市民広場の舗装を施し、市庁舎の屋上には旧市街と新市街を見渡すことができる望楼を配置することで、主要道を軸線として取り入れ、市民広場に旧市街との関連性をもたせています。

今治市街地図

今治市街概略図

市民会館建設

今治市は市民から中小規模の集会施設の要望が出たことから、1964年1月の会議にて市民会館建設を今治市庁舎(竣工1958年)、今治市公会堂(竣工1958年)の敷地に市民会館の建設を決定し、建設委員会を設立しました。
 
建設委員会は地上4階とし、市庁舎建設群を設計した丹下健三氏に依頼。わずか3週間あまりにて丹下氏は計画の概要と平面計画をまとめた上で計画案を今治市に提出しました。
 
丹下氏の計画は予算と計画地より市民会館を2階建てとした。それは市庁舎群との景観と脆弱な地盤及び予算からであった。今治市は集会室の数と面積が減少していることより市民会館が2階建であることに反対。それは、市の中心部に低層の建物を建てることが不満であった。丹下氏はこの要望を踏まえ部分的に3階建に変更し計画を策定し概ね了承を得て、設計をすすめることとした。
 

建築家丹下健三による今治市民会館

建物の特徴

今治市役所

今治市庁舎

今治市庁舎 正面(北側)

 
今治市役所

今治市庁舎 南側

 
従来の丹下氏の庁舎設計ではピロティで躯体を宙に持ち上げ、基準階にバルコニーを採用していたが、今治市庁舎では南に45度開いて並列した垂直のルーバーを採用しています。
 
さらに水平のルーバーと梁により構成されたコンクリートの格子状のブリーズソレイユを構造的な柱とし内法16メートルの三層の大スパンを受けています。

市庁舎のデザインは、ル・コルビュジエのインドの繊維工業会館の影響を受けていると言われていますが、今治市庁舎の巨大遮光ルーバーの端部にはコブのような柱が取り付いています。
 
ル・コルビュジエの遮光ルーバーは洗練された壁表現となっていますが、これは、壁面ファサードが構造体であるか否かであった。構造担当の坪井善勝氏は、壁面の遮光ルーバーは構造体であり、ルーバーの角にコブ状の柱を取り付けることを主張しました。
 
丹下氏はピン角にすることを主張し論争となったが、坪井氏の主張通りとし、今治市庁舎の巨大遮光ルーバーの端部にはコブのような柱を取り付けることとなりました。

建築家丹下健三による今治市役所

今治市役所

ル・コルビュジエの設計したインドの繊維工業会館

ル・コルビュジエ設計の繊維工業会館

今治市公会堂

公会堂の設計は、日照の必要な市庁舎と対照的に、公会堂は遮音性能が要求されるため、公会堂を内法27mの折板構造としなっています。壁・屋根ともに折板構造を採用して、構造の一貫性を追求しています。
 
今治市公会堂の竣工後、前川國男氏は世田谷区民会館を完成させていますが、こちらも壁・屋根ともに折板構造を採用し、また構造設計も同じ坪井善勝氏が構造設計を担当しております。プログラムも形態も非常によく似た建物となっていますが、両者の決定的な違いはスケールの扱いであった。

建築家前川國男による世田谷区民会館

世田谷区民会館(現存せず)

前川國男氏の世田谷区民会館は、二階レベルにデッキをまわし、脚下にピロティを設け、ヒューマンスケールに基づいた統一感を与えています。

これに対し、丹下健三氏の広島平和記念公園、香川県庁舎などは、ピロティを都市スケールに合致するようまとめています。今治ではピロティの代わりに迫力のある折板壁や巨大な遮光ルーバーが都市スケールとして存在しています。

建築家丹下健三による今治市公会堂

今治市公会堂

 
公会堂、市役所ともに、ピロティが使われていないのは、訪れた人々が簡単にアクセスできるようにとの考えによるものでした。
 
先を尖らせた支柱が反り返った屋根を支え、大きなコンクリートホールを作り上げ美しいプロポーションを実現させています。また、壁・屋根ともに折板構造を採用しており構造の一貫性を追求しています。
 
建築家丹下健三による今治市公会堂
今治市公会堂
今治市公会堂

磨き仕上げを施した木製の座席と手すりが磨き仕上げのコンクリートと調和しながらも、それが所々で壁やカーテンの緋色に変わります。

今治市民会館

建築家丹下健三による今治市民会館
 
公会堂のブルータリズム的なコンクリートの正面とは異なり、柱・梁のラーメン構造に大きなガラス面と庇を付加したデザインを採用し、一体性を強調しています。背の高い縦型のルーバー・ウィンドウが全体を占める2階が1階にせり出しており、張り出した屋根と同調しています。
今治市民会館
今治市民会館
今治市民会館
今治市民会館
公会堂と同じく磨き仕上げの木とコンクリートと緋色のハイライトが使われていますが、よりナチュラルな風合いになっています。コンクリートの支柱は木の梁のように筋や節が全体に施され、2階は特徴的な窓が磨かれた床の上に水のような波打つ反射光を作り出しています。

今治市にあるその他の丹下健三作品

今治市役所別館

今治市役所別館

左側が10階建ての第1別館。1972(昭和47)年竣工、右側が12階建ての第2別館。1994(平成6)年竣工。

愛媛信用金庫

愛媛信用金庫
愛媛信用金庫今治支店1960(昭和35)年竣工。
丹下健三氏の父が、旧今治商業銀行(現:愛媛信用金庫)の実質的な責任者であったことより、設計しています。
丹下健三製作の石碑

丹下健三氏による石碑が今治港に設置されています。
今治ロータリークラブ創立50周年記念として1984(昭和59)年につくられた明治時代の小説家・徳富蘆花(とくとみろか)の文学碑。

上記以外にも故郷の今治には1985(昭和60)年竣工の今治地域地場産業振興センターや1967(昭和42)年竣工の常盤町支店が現存しています。
 
今治市役所など「神々の尺度」をもった都市のコアとして建設された施設群は今治市民や建築関係者によって地方都市の歴史的遺産として大切に継承されています。


Related Sites

瀬戸内にある丹下健三の初期の作品を楽しむ

瀬戸内には1950年代から60年代にかけての丹下健三の初期の名建築が点在しています。初期の作品はル・コルビュジエの影響を色濃く受けながら、日本的要素を融合させた作品からブルータリズムへと転換していく過程を楽しむことができます。