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谷口吉生の名建築の魅力を探る

美術館建築の巨匠 谷口吉生

美術館の巨匠谷口吉生による豊田市美術館

豊田市美術館

 

谷口吉生は、国内外の有名な美術館や博物館などを手がけてきた建築家です。香川県にも2館(猪熊弦一郎現代美術館、東山魁夷せとうち美術館)の美術館を手がけています。それらの美術館を通じて、建築家谷口吉生作品の魅力を探っていきます。

 

建築家 谷口吉生

谷口吉生氏は1960年 慶應義塾大学工学部機械工学科を卒業。ハーバード大学建築学科大学院に進学し、Master of Architecture(建築学修士)を取得。帰国し丹下健三研究室および丹下健三の都市・建築研究所に所属。1975年に独立。1979年に谷口吉郎建築設計研究所(現谷口建築設計研究所)の所長に就任。主に美術館を中心に設計をおこなってきた。

葛西臨海水族園展望広場レストハウス

葛西臨海水族園展望広場レストハウス

主要作品
1978 金沢市立玉川図書館

1978 資生堂アートハウス
1989 東京都葛西臨海水族園
1990 長野県立美術館 東山魁夷館
1991 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
1995 豊田市美術館
1999 東京国立博物館 法隆寺宝物館
2004 広島市環境局中工場
2004 香川県立東山魁夷せとうち美術館
2004 ニューヨーク近代美術館
2011 鈴木大拙館
2014 京都国立博物館 平成館
2017 GINZA SIX
2019 谷口吉郎・吉生記念金沢建築館

東京都葛西臨海水族園

東京都葛西臨海水族園

 
谷口吉生氏の設計した作品は「日本建築学会賞」「吉田五十八賞」「日本芸術院賞」「公共建築賞」「毎日芸術賞」「村野藤吾賞」「BCS賞」など多くの賞を受賞している。

谷口吉生氏の建築の特徴は、シンプルでありながらも、直線や幾何学の多用、両極端なスケールの共存などモダニズムを追求したものとなっています。また、水や庭または街並みを意識した佇まいは、ランドスケープや街の成り立ちを配慮した構成となっていおり、美しい。

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

(1991年竣工)
建築家谷口吉生による丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

理想の美術館

建築家谷口吉生による猪熊弦一郎現代美術館
 

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(愛称:MIMOCA)は、丸亀市の市制施行90周年の記念事業として猪熊弦一郎画伯の全面的な協力のもと建築家の谷口吉生氏によって設計された。
 
猪熊弦一郎氏は香川県庁舎建築に際し、当時新進気鋭の丹下健三氏を金子香川県知事に紹介するなど建築にも造詣が深く、また活動拠点としていたニューヨークやハワイでは日常的に画廊や美術館を訪れるなど美術館のあり方にも深い知見を有していた。
 
美術館設計は当初の基本設計を大幅に見直すなど再三にわたり丸亀市、猪熊弦一郎氏、谷口吉生氏が話し合うことで、建物、作品、運営がひとつのコンセプトに基づくどこにもない理想の美術館をつくりあげることができた。

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
猪熊弦一郎現代美術館
1階のエントランスから大きく吹き抜けた天井は高く、壁の最上部と天井面のトップライトの双方から自然光も入り込んでくる。
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
谷口吉生氏は美術館の建物正面を絵の額縁のような大胆なデザインにして、猪熊画伯に原画の制作を依頼し壁画を配置した。また、敷地と建築の関係は一番大事と考え美術館だけでなく駅前広場を含めた周辺を一体的にデザインすることを提案。
 
そして、JR丸亀駅前広場の再開発にあわせランドスケープデザイン(外構の設計)をハーバード大学の教授であったピーター・ウォーカー氏に、広場周辺の総合的なコーディネートを都市設計の第一人者である加藤源氏に依頼した。
 

猪熊弦一郎現代美術館と土門拳記念館との不思議な縁

丸亀市がまちづくりの一環として新しい文化施設を模索していたところ、職員の一人が旅行雑誌「旅」に掲載されていた酒田市の「土門拳記念館」のことを話題に出したことがきっかけとなり、文化施設として美術館新設の議論が盛り上がっていった。そして当初計画にはなかった市立美術館の建設が組み込まれ、調査、検討が進んでいくことになったのである。

土門拳記念館

土門拳記念館(山形県:1983年竣工)

土門拳記念館は1983(昭和58)年にオープンした写真家土門拳の美術館。美しい自然林となだらかな丘を背景に、前面に人工池を配し、鳥海山の眺望も利いて豊かな自然環境と建物が見事に調和した美術館。
1987(昭和62)年2月に総務部長と職員は丸亀市出身である猪熊画伯と面談し猪熊美術館建設の協力について依頼し協議をすすめる一方、同年5月には世田谷美術館(東京)の後、話題となった土門拳記念館を訪問するなど美術館の情報収集をすすめていった。
そして同年7月に猪熊画伯より「丸亀市の美術館計画への協力を前向きに考える」との回答があったが、その中で猪熊画伯より建築の設計として谷口吉生氏を紹介したいとの申出があったのである。
土門拳記念館のことが市役所内で話題になっていなければ「猪熊美術館」の誕生はなかったが、その記念館の設計者である谷口吉生氏が「猪熊美術館」を設計することとなったのは不思議な縁であった。

土門拳記念館には彫刻家イサム・ノグチ氏により中庭に彫刻とベンチ、華道草月流三代目家元勅使河原宏氏による庭園とオブジェが寄贈されている。

イサム・ノグチ氏の彫刻「土門さん」

イサム・ノグチ氏の彫刻「土門さん」

勅使河原宏氏の庭園「流れ」

勅使河原宏氏の庭園「流れ」

ニューヨーク近代美術館「MoMA(モマ)」との縁

MoMA

MoMA(谷口吉生氏設計)

猪熊画伯は1955年から約20年間に及んだニューヨーク時代に一週間に一度はマンハッタンの大通りなどに点在する画廊を見て回るとともに、MoMAやメトロポリタン美術館、グッゲンハイム美術館に足を延ばすことがあったという。特にMoMAは展覧会に出品したこともあり、生涯で最も多く訪問するなどお気に入りの美術館であり、日本からの知人や留学生などの案内役としても度々同行した。
そのMoMAの建築部チーフキュレーターのテレンス・ライリー氏がニューヨーク・タイムズ紙に掲載された猪熊弦一郎現代美術館の小さな写真を見たことより1993(平成5)年に予告もなしに猪熊弦一郎現代美術館を訪問。
館の内外を見学したライリー氏はファサードやおおらかな空間、さらに周辺の街との関連など素晴らしい美術館であると評価された。そして設計者は誰であるか尋ねられたので谷口吉生氏であることを告げた。後に判明したが、ライリー氏はMoMAの大規模改築工事にあたり設計コンペティションに招待する建築家を世界中から探していたのであった。
猪熊画伯にライリー氏の訪問を報告すると「とてもうれしいニュースだ」と大変喜ばれたが、その二週間後に急逝され、 その後の谷口吉生氏がMoMAの国際建築コンペで吉報を得たことを知ることはできなかった。

MoMA大規模改築コンペにおいて、谷口吉生氏の提案は、過去の建築家のファサードはほぼ手を加えないでそのまま残すこととし、内部は大胆な変更を加えるプランであった。
それは、美術館の目的が芸術と鑑賞者のための理想的な空間作りであること。また、MoMAがこれまで行ってきた美術館建設・増改築の歴史はモダニズム建築の歴史であることを谷口吉生氏が理解していたためにできた提案であった。
 
MoMAの展示室は自然光が差し込み、天井は照明で覆われており光に満たされている。手すりや床材、壁、取手などの目に見えるジョイントは極力減らされているため、座漂軸を定め難く、その空間は重力から逃れた軽やかなものとなっている。あくまで作品の背景になるよう精緻に構成された展示室は、単調と批判されたホワイトキューブに洗練と繊細さを加えている。

ニューヨーク近代美術館

MoMA吹抜け空間


丸亀市立中央図書館

(1991年竣工)
丸亀市立図書館

美術館のような図書館

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の建物に併設されている市立図書館。館内は猪熊弦一郎現代美術館と同じく白を基調とした落ち着いた空間となっており、閲覧室は吹抜けとなっており美術館のようになっている。

丸亀市立図書館
丸亀市立図書館

図書館に入って正面の壁には猪熊画伯による壁画がある。こちらは美術館の壁画に比べて細かく描かれており、子どもたちが一つ一つ楽しめる壁画となっている。美術館と図書館の一体感はすばらしく、美術館だけでなく図書館にも猪熊画伯の壁画と谷口吉生氏の建築をここでも満喫することができる。

建築家谷口吉生による丸亀市立中央図書館
 

建物は猪熊弦一郎現代美術館と一体となっているが図書館部分はアルミスパンドレルのシルバーとコントラストをなすグレーベーンガラスの黒い窓は正方形のグリッド状にサッシ割がなされている。

谷口吉生による図書館設計

谷口吉生氏による図書館の設計は丸亀市立図書館以外にも父谷口吉郎氏と金沢市立玉川図書館(石川県:1978年竣工)を設計している。
玉川図書館本館は旧専売公社の煙草工場を近世資料館として赤レンガを媒介にして2つの建物の調和・融合が図られている。

建築家谷口吉生による金沢市立玉川図書館別館

玉川図書館別館(近世資料館)

金沢市立玉川図書館

建築家谷口吉生による玉川図書館(石川県金沢市)

近世資料館に対し、本館はディティールをできるだけ省略されたシンプルな直方体として対照的な意匠となっている。外壁にはコールテン鋼が使用されている。コールテン鋼は表面に錆が形成されることにより、内部が保護され錆の進行を抑えられる特殊な素材であり、年月により色味が変化されていく。

建築家谷口吉生による金沢市立玉川図書館

玉川図書館

図書室の壁は白か淡いグレーの無彩色であるが、円柱と大梁は緑色に塗装され、赤レンガの色に映えている。梁は建物内部で完結するのではなく、建物の外部まで貫き、建物内部と外部の関係性を与えている。
建築家谷口吉生による金沢市立玉川図書館

玉川図書館中庭


香川県立東山魁夷せとうち美術館

(2005年竣工)
香川県立東山魁夷せとうち美術館

瀬戸内の小さな美術館

香川県立東山魁夷せとうち美術館は日本を代表する東山魁夷の作品を展示する美術館。東山画伯の祖父が坂出市櫃石島の出身であり、ご遺族より版画270点余の寄贈を受けたことより、坂出市沙弥島に整備された。
 
建物は二枚の大きな壁で東西に貫いており、瀬戸内側と公園側がこの壁により隔絶されており、海をまったく意識せず館内へと導かれる。建物は谷口吉生氏の特徴である水平・垂直ラインを強調したものとなっている。

東山魁夷せとうち美術館
植栽により入口からは美術館全体の姿をみることはできず、背後にある海を感じることもない。植栽は谷口吉生氏がこだわったところでもあり、季節や天候、時間によって趣が変わってくる。その影や風景は谷口吉生氏による計算し尽くされたものであった。
床のタイルは内部と外部の目地を合わせており、内と外が曖昧になっている。
東山魁夷せとうち美術館
 
2階にある東山魁夷の展示室から降りた1階ラウンジには今まで感じることがなかった瀬戸内海の風景や祖父の実家櫃石島を見渡すことができ、東山魁夷の世界から現実に戻ってくるとともに瀬戸内の美を堪能することができる。
東山魁夷せとうち美術館
東山魁夷せとうち美術館

2つの東山魁夷美術館

東山画伯の作品のみを展示する美術館は全国に3ヶ所ある。一つは東山画伯が風景画家となるきっかけとなった長野県の長野県立美術館東山魁夷館、そして自宅があった千葉県の市川市東山魁夷記念館と東山画伯のルーツである祖父の実家(香川県櫃石島)の香川県立東山魁夷せとうち美術館である。このうち長野県と香川県の美術館は谷口吉生氏が設計をおこなっている。
 

長野県立東山魁夷館は東山画伯が生前自分の作品970余点を長野県に寄贈することとなり美術館新設の計画が始まった。東山画伯は美術館の設計について親しかった谷口吉郎氏に相談し、息子の谷口吉生氏が設計することとなった。また、東山魁夷せとうち美術館は遺族である婦人からの寄贈により計画が始まったが、こちらも遺族からの申出により谷口吉生氏が指名された。
 
2つの美術館は東山画伯の魅力を引き出しているが、それぞれの環境や収集された作品に合わせてまったく違ったアプローチとなっていた。

長野県立東山魁夷館

長野県立美術館 東山魁夷館

長野県立美術館東山魁夷館の構想
東山画伯の作品が伝統的な日本画であると同時に、現代を代表する独創的な作風であったことより、この美術館の設計もいわゆる和風建築ではなく、現代の日本を表現するような建築を目標とし、設計では展示作品の額縁になるような建築にするという方針として取組んでいる。
そのため、「簡潔な意匠と十分な機能性」ということから発想しており、建物の壁は軽快感を出すためにアルミ材を用いています。
 

美術館の建築は、内部では展示物や人が空間をつくり、外部では自然、つまり光や風や緑が四季折々の表情を与えてくれることが重要だと考えており、外部は善光寺に近い公園の中にあるため、その環境との調和を考え外側を低い塀で囲い中庭と池を設けている。また、中庭に面したラウンジの天井には池の水に光が反射し、波紋を描いている。

長野県立美術館東山魁夷館

長野県立東山魁夷館中庭

東山魁夷せとうち美術館はストレートな縦と横の線は清潔感があり、瀬戸内海を背景に美しく佇んでいる。東山画伯の美術館は谷口吉生氏にとっては2館目となったが、こだわった植栽と瀬戸内の美を活かし長野県立美術館とはまた異なったコンパクトな美術館となっている。版画作品を中心とした小さな美術館ではあるものの、東山画伯を知り尽くした谷口吉生氏ならではのこだわりのある美しい美術館となっていた。
 

もう一つの小さなミュージアム

谷口吉生氏が設計した小さなミュージアム鈴木大拙館(2011年竣工:石川県)は金沢が生んだ仏教哲学者鈴木大拙についての理解を深めるためにつくられた。展示品の数や説明書きなどの情報を最小限にし「無の境地」を演出している。
鈴木大拙館

鈴木大拙館(石川県金沢市)

小立野台地から続く斜面緑地を背景に、石垣や水景などによって金沢を象徴する景観を創造し、その中で鈴木大拙の世界を展開していくことを設計の基本方針とし、「玄関棟」「展示棟」「思索空間棟」を回廊で結ぶとともに、「玄関の庭」「露地の庭」「水鏡の庭」によって構成されています。
このミュージアムは展示空間で鈴木大拙を知り、学習空間で鈴木大拙の思想を学び、思索空間で学んだことを考える3つの行動を行う構成となっています。
特に思索を体験できる施設が特徴となっています。真四角な思索空間棟は禅宗寺院の住職が生活する空間「方丈」をイメージして設計されており、心を表す水鏡の上に浮いているように佇んでいます。心地よく孤立した空間では禅の思想を静かに思索することができます。
鈴木大拙館 水鏡

水鏡の庭

鈴木大拙館 思索空間の棟

思索空間の棟

谷口吉生氏が最も小規模で最も世界観を体現するのが難しかったと言ったのがこの鈴木大拙館であった。

2つのモス・グリーンの美術館

東山魁夷せとうち美術館ではモス・グリーンとコンクリートの打ちっ放しで構成されていたが、同じモス・グリーンを使った美術館があった。それはモス・グリーンと乳白の磨りガラスで構成された豊田市美術館(愛知県:1995年竣工)であった。
 
豊田市美術館
豊田市美術館

石畳は牟礼町の和泉屋石材店和泉正敏氏が製作

美術館は丘の上の高低差を活かして配され、乳白色のガラスとモス・グリーンの直方体が浮かび上がり、門のようなフレームは長大なアーケードで水平・垂直ラインを強調する役割をはたしている。ランドスケープは猪熊弦一郎現代美術館と同じくピーター・ウォーカーが担当している。石畳とスロープは遠近感を強調し、伸びやかな空間を作り出している。展示室から出た美術館屋外にはそれぞれ赤・黃・青、外側はいずれも鏡張りになっている3つの小屋が配されたダニエル・ビュレン氏によるインスタレーション作品が楽しませてくれる。

豊田市美術館

ピーター・ウォーカー氏による市松模様

豊田市美術館

ダニエル・ビュレン氏によるインスタレーション作品

豊田市美術館
展示室はホワイトキューブとなっているが単なる白い部屋ではなく、谷口吉生氏の提案により天窓から自然光の入る吹抜け空間や壁面の半分がガラスになり柔らかく均質な光が入る空間など、それぞれに特徴を持った空間となっている。この空間をどのように使うかは、作家や学芸員に委ねられている。
豊田市美術館
猪熊弦一郎現代美術館は作家と建築家のコラボレーションが美しく心温まる美術館となっているが、豊田市美術館は学芸員と建築家のせめぎあいが大いなる緊張感を生み出したシャープな空間となっており、作家に対しても挑戦させる力をもった美術館となっている。
豊田市美術館

白乳色のガラスの光が水盤に写り込む美しい美術館

谷口吉生の建築

谷口吉生氏が本格的に建築の勉強をしたのは、ル・コルビュジェが去ったばかりのアメリカのハーバード大学であった。そこではモダニズム建築の理念が強固なアメリカの建築であった。アメリカで学んだモダニズム建築を基本としなから、日本の伝統的な建築や庭園の要素を見事に取り込んでいます。
 
谷口吉生氏による美術館は素晴らしいスケール感とプロポーション感を持ち、日本の建築や庭園にみられる軸線のずらしや非対称の要素を随所に取り入れることで、柔らかさや視覚的な新鮮さをもたらしたものとなっている。また、建物の周りに水を配置することで水平・垂直ラインを強調したり、季節や時間によって移り変わる自然光による建物の影や風景の変化を計算してつくられています。
展示されている作品と同時に谷口吉生氏による美しい建築を併せて堪能してください。
 

金沢市にある日本初の建築・都市についてのミュージアム谷口吉郎・吉生記念金沢建築館は谷口吉生氏の原点を感じることができます。
 
谷口吉郎・吉生記念金沢建築館

谷口吉郎・吉生記念金沢建築館

 
 

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