奈義町現代美術館(NagiMOCA)は、奈義町施行40周年記念事業として自然とアート、建築の融合を理念とし、日本では初の作品と建物とが半永久的に一体化した美術館として磯崎新アトリエ設計によってつくられた。
どのようにして岡山の小さな町にユニークな美術館ができたのかを紐解きながら美術館の魅力をみていきます。
建築家 磯崎新
北九州市立美術館
経歴
1931年 大分県生まれ
1954年 東京大学工学部建築学科卒業
1960年 丹下健三研究室で東京計画1960に関わる
1961年 東京大学大学院数物系研究科建築学専攻博士課程修了
1963年 丹下健三研究室退職。磯崎新アトリエを設立
1966年 大分県立図書館(日本建築学会賞)
1972年 宮脇愛子と結婚
1974年 北九州市立美術館
1990年 水戸芸術館
1988年 ロサンゼルス現代美術館
2019年 プリッカー賞受賞
2022年 逝去(91歳)
約60年にわたってアジアやヨーロッパなど世界各地で100以上の作品を手がけた。事務所を磯崎新アトリエと名付け、ネオ・ダダなどの前衛芸術運動を意識し、建築家の作品性を前面に押し出していったポストモダン建築の世界的な牽引者。
奈義町現代美術館
美術館の立地
奈義町現代美術館の位置
美術館建設の経緯
1980年代に奈義町では、人口減少などに対応するため町幹部職員による活性化委員会を立ち上げ、町助役をトップとした独自の活動を開始。その企画の第一弾として「まちおこし書道展」を開催。著名な書道家を呼び「日本現代書道巨匠展」を毎年開催した。町の活性化として「日本一の書のまち」として公募展など住民の書道参加も含め積極的な活動をおこなった。
回を重ねるに従い会場としてきた文化センターのホールや教室などの展示室の利用に支障や各種の問題が生じ、専門のスペースの必要が要求されてきた。
おりしも、長期の町勢振興計画の策定に伴い、美術館、図書館の建設が浮上してきたため、美術館建設は町政施行の最重点施策となった。そして、美術館建設検討委員会を組織した。
美術館の方針決定経緯
美術館建設検討委員会では、主だった収蔵品もなく、習字だけでは美術館として弱いということになり、地元作家を中心とした様々な作品の展示会を開催できる町立美術館を検討していくこととなった。
美術館計画に際し黒田貞太郎町長は、町の活性化の起爆剤と考え、美術館の在り方や収蔵品などの情報収集を美術館関係者などから積極的におこなっていった。
富山県近代美術館学芸員であった岡山大学の太田將勝助教授からは、有名な建築家に依頼すれば、沢山の人が来るとのアドバイスを受けた。また、実家が奈義町の現代美術のコレクターである花房香岡山県職員に収蔵品の相談をすると、アメリカ留学時代の知人荒川修作氏に連絡を取り、美術館収蔵品の相談をおこなってくれたなど、黒田町長の情報収集により具体的に美術館への動きがでてきた。
設計者決定
設計について有名な建築家とし、丹下健三、安藤忠雄、高松伸などが内部で候補にあがっていた。そんな中で具体的候補に上がったのは、磯崎新氏であった。
太田助教授は、富山県近代美術館学芸員であり、富山出身の瀧口修造の企画展の編集を通じ宮脇愛子氏との面識があった。また、花房岡山県職員も宮脇愛子氏と面識があったことより、宮脇愛子氏を通じ夫の磯崎新氏とのコンタクトを取ることができた。黒田町長は、すぐにアトリエを訪問しトップダウンで設計者を磯崎新にすることと決定したのであった。
方向性の決定
バルセロナオリンピック会場パラウ・サン・ジョルディ
磯崎新による方針
磯崎新氏が考える美術館の発展段階を3つに区分
「第一世代」
民主主義国家によって設立された王侯貴族の私的コレクションを公開するミュージアム
「第二世代」
権威に対抗する目的をもったモダニズムの作品を展示するホワイトキューブ
「第三世代」
インスタレーションと建築が合致したサイトスペシフィックなミュージアム
磯崎新氏は、まだ日本に出来ておらず、奈義町に来ないと見られないことを強調し、1960年代以降の現代美術にて構成された第三世代の美術館をつくることとした。そして、あらかじめ3人の作家に作品を構想してもらい、それを建築家が空間化してまとめる。作品は現場制作されたもので、半永久的に展示することとした。
小さな町において、この先鋭的な美術館計画は、当然税金の無駄遣いだという住民の反対の声があがった。しかし、磯崎新氏は住民との対話を続けた。
住民との対話の中での追加事項
- 3つの恒久設置作品だけでなく、ギャラリーを設け流動的に企画を展開できるようにする。
- 地域のシンボルである那岐山頂を望めるカフェを設けること
そうしたすり合わせをしながら磯崎新氏は住民に「開館から10年は辛抱してほしい。そうすれば、このような形態の美術館が生まれ始め、Nagi Mocaはそのパイオニアにより町は注目される」と伝えた。
一般展示室
隣接する大人気のピザ店PIZZERIA La gita
併設する図書館はコンパクトながらも、吹き抜けの天井からの自然光や2階の座席の窓から見る那岐山の景色は、心を落ち着かせ時間を忘れさせる空間となっている。
2階の窓からの景色
美術館は、作品体感型の三つの芸術空間と図書館で構成され、それぞれに彩色された直方体、円筒形、三日月型の積み木を組み合わせたような分散型の建築となった。それらは、軸線によって配置され、都市構造に自然軸を合成して自然を再認識させる構成となっている。
直方体の図書館、レストラン棟は前面の道路にパラレルに位置し、左右に「月」「太陽」をイメージさせる立方体を配置させている。
作品ごとにも軸線が用いられ「大地」の長軸は那岐山頂方向を軸とし、円筒形の「太陽」は南北軸と重なり、「月」は中秋の名月の夜半10時における方向の軸となっている。
美術館内
喫茶室にあるモンローチェア
宮脇愛子「大地」
荒川修作+マドリン・ギンズ「太陽」
岡崎和郎「月」
磯崎新の想い
カタログ「Nagi MOCA磯崎新」に次のように記されています。
それぞれの作品は、現場制作(in-situ)されます。SiteSpecificと呼ばれる形式です。内部空間の全要素(形態・光・素材・視点・時間...)が作品に組み込まれているので、観客はその現場に来て、中に入って、体験してもらわなければなりません。全身体感覚をつうじて瞑想することが共通に期待されます。写真・印刷・ヴィデオなどの伝達メディアでは、この空間的なアウラをどれだけ伝えうるか、全部は無理でしょう。
建築家とアーティストが共同制作した空間的作品。それが未来の美術をコレクションし、かつ展示する唯一の手段であり、それが公共の施設として実現することに、このNagiMOCAの重要な意義があると考えます。
書道展を開催できる施設をつくることから始まったプロジェクトは、大きく形を変え日本では初の作品と建物とが一体化した美術館となった。そのため、美術館オープン後も一部の住民からは理解が得られなかったが、磯崎新氏が語っていた通り、美術館開設の10年後の2004年には金沢21世紀美術館と地中美術館が開館し、脚光を浴びることとなった。その結果、奈義町は次第に若い人から注目される町となり、県外からの移住も増え出生率は1.41%(2005年)→2.95%(2019年)と驚異の出生率となり、岸田総理が視察するなど注目される町にまでなっていた。
注目される町となったのは、美術館開設だけではないが、きっかけとなった磯崎新氏の先見性や黒田町長をはじめとした関係者の熱い想いに敬服したい。