香川の名建築 建築家三分一博志

直島ホール

直島ホールは、直島の本村地区に建っていた老朽化した旧公民館を建て替えることから始まった計画。地域に住まう人々のスポーツ、文化活動や冠婚葬祭まで日々のさまざまな活動の拠点となる施設として「ホール」と「集会所」が計画された。その直島ホールの魅力をみていきます。

 

直島ホールについて

三分一博志の構想

建築家三分一博志氏は2年半直島に通い、周辺の風や水、太陽の動きと植物、集落を調査。そこで見えてきたものは中世から脈々と受け継がれた自然に寄り添った暮らしの知恵と街区や建物のつくりの美しさでした。そして、直島本来の動く素材の「流れ」をいかに次の世代へ伝えるかを大きなテーマとして取組んだ。

本村の集落(地形、集落、民家のリサーチ)

  • 扇状地の谷に沿った南北方向の風が集落を流れていた。
  • 民家は入母屋屋根が多く、南北2つの庭と南北の続き間を持ち、風が通りやすい間取りになっていた。
  • 集落の南の高台にはかって棚田があり、夏場は水面を通った涼しい風が集落に吹いていたことが推察される。
リサーチの結果、自然の風力で空気の循環を促す設計となった。
 
本村集落の風の循環の図
 

直島ホール棟特徴

直島ホール
 

特徴的な緩やかなカーブを描く檜葺の大屋根は風の通り抜けを活かした直島の伝統民家の綿密な分析のもとに計画されており、建物に自然な呼吸を実現している。

 
直島ホール風穴
 

瀬戸内の風を呼び込む檜の大屋根は直島の集落に多く見られる伝統的な入母屋形状に直島の風向きに即して風穴を開けている。この形状は直島の動く素材の流れを可視化させるとともに風穴があることでホール内外の空気圧力の差が空気を循環させている。このホール内の空気の循環は繊細な流れとなっており、敏感なバトミントンなどのスポーツにも利用することができる。

直島ホールの風の流

建物の周り4ヶ所に風の入口を設置している。空気は床下の迷路状に張り巡らせた長い道を通って室内に取り込まれる構造となっている。長い時間をかけて地下を通った空気は地中熱の効果で安定した温度となり、床の縁にある格子の隙間から引き上げられ、天窓へ抜けていく。そのため、窓を閉め切った状態でも空気は循環されている。

直島ホールの風の穴
直島ホールの風の穴(室内)

天井は日本の伝統的な素材の白漆喰で仕上げられている。表面の滑らかな曲面は空気の流れをスムーズにするとともに湿度を調整。白色により光を乱反射させて少ない光でも十分な明るさを空間全体に行き渡らせている。白漆喰の滑らかな形状は、熟練した左官職人による「コテ」によってつくられています。また、床は檜でできている。

直島ホールの舞台

島の伝統文化であり、香川県指定有形・無形民俗文化財の「直島女文楽」の上演ができる仕様となっている。そのため、舞台は可変式であり室内外から鑑賞できる。成人式など一般的な利用には室内を客席として、少人数や練習時には池泉からせり出した舞台を客席として活用することもでき様々な利用方法を想定された造りとなっている。

直島ホール せり出した舞台

集会所棟特徴

集会所の大屋根は日本の茅葺き屋根にならい、空気は通しつつ雨からは守られるようになっています。二重の横板格子葺き屋根の外側は主に強い日差しや風雨から守り、内側はそれを補いながら室内に熱がこもらないよう空気を緩やかに通す仕組みなっています。
 
直島ホール集会所

大屋根の下には4棟の建物が本村の民家をイメージして配置されています。各棟は縁側や庭に面し、それをつなぐ土間を路地に見立て、風が抜ける本村の集落の特徴を受け継いでいます。

直島集会所の井戸
瀬戸内の島々では水はとても貴重で、暮らしを支える大切な財産でした。集落のいたるところに井戸があり、生活用水としてだけでなく、人々の憩いや交流の場として重要な役割を果たしていました。
直島ホール
 
直島ホールは建築家三分一博志氏が2年半にわたりリサーチし、直島の気候、直島の住宅の構造や歴史を分析。その地の風・水・太陽をどのように活かしていくかを考えつくられた地元直島そのものの建築となっていた。

 

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香川県にある猪熊弦一郎現代美術館、東山魁夷せとうち美術館はともに谷口吉生氏による設計です。ニュヨーク近代美術館や豊田市美術館など国内外の美術館に携わった美術館の巨匠の世界を香川の美術館を通じて楽しみませんか。