本福寺は、空海(弘法大師)を始祖とする真言宗の一派である御室派の総本山「仁和寺」の末寺で平安時代後期に創建された歴史ある寺です。建築家安藤忠雄氏が取り組んだ本堂の魅力をみていきます。
本堂建築のいきさつ
井植歳男記念碑
三洋電機の創業者井植歳男氏は津名郡浦村(現淡路市)の出身で、本福寺は菩提寺でした。井植歳男氏は松下幸之助氏の義理の弟で松下電器に従事していたが、戦後退職し三洋電機製作所を設立。三洋電機はその後洗濯機でトップシェアとなるなど、高度成長期に家電メーカーとして成長していった。井植歳男氏は三洋電機が大きくなったらお寺を建て替えると住職に約束していましたが、約束を果たせないまま亡くなった。その約束を引き継いだ長男の井植敏氏が相談したのは建築家安藤忠雄氏でした。
境界
雑木林を抜けると、コンクリート造りの壁が見えてきます。お寺らしくないですが、厳かな雰囲気が漂ってきます。この壁は俗界と聖界の境界を表していおり、曼荼羅の巨大な門といえます。門をくぐると曲線のコンクリート壁が現れます。
人工の蓮池
安藤忠雄氏は、設計に際し全国各地の寺院を巡り真言宗の研究を重ねました。そして、「お寺とは何か」という考察から「人が集まり、心の豊かさを感じられる空間」という結論に達し、権力の象徴である大屋根を用いず仏教の原点である蓮池の地下に本堂をつくる案をつくりあげました。
この案は住職をはじめ檀家が一斉に反対しました。安藤忠雄氏は京都有数の規模である禅宗寺院の大徳寺の立花大亀和尚(当時90歳)に教えを請うことにしました。和尚は「仏教の原点となる蓮の中に入るということは一番良い姿となる。自分も冥土へ行く前に見たい」というお言葉をいただいた。そこから計画は一気に進んでいきました。
直径40m、短径30mの水盤で本堂の屋根の部分になります。短径の中央が水面を切り裂くように割れ地下道に続く直線の階段があります。
水面には澄み渡った青い空が映り、階段を下りていくものの空に上がるような感覚になります。
本堂
安藤忠雄氏は、鎌倉時代に京都東大寺の復興を遂げた俊乗房重源上人が建立した浄土寺からアイデアを得ています。浄土堂内にある阿弥陀三尊立像は、夕方になると堂内西側の蔀戸から西日が射し、床に反射して、仏像は赤く染まっていきます。
浄土寺(播磨別所)
本福寺の本堂内部も朱に塗られていて、御本尊の薬師如来像の後ろから光が差し込み、朱に染まった空間で薬師如来像が神々しく光包まれます。まさに極楽浄土が出現したかの感覚に陥るほどの厳かで神々しい神聖な空間となっています。西方浄土に向かって参拝するようになっています。
安藤建築の魅力