フランク・ロイド・ライト
1867年 アメリカ・ウィスコンシン州生まれ
1885年 ウィスコンシン大学入学 中退
1885年 ジョセフライマン・シルスビー事務所入所
1886年 アドラー=サリヴァン事務所入所
1889年 キャサリン・トビンと結婚
1905年 日本に来日
1913年 帝国ホテル新館設計のため訪日
1936年 落水荘竣工
1939年 ジョンソンワックス社事務所棟竣工
1959年 11月26日 永眠

エドガー・カウフマンの邸宅(落水荘)
アメリカ・ピッツバーグ
ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デルローエと並び近代建築の三大巨匠と称されています。
ライトは、アメリカ出身の建築家で、シカゴを中心に活動し、「有機的建築」という建築理念を提唱し、周りの自然環境と建築を融合しているのが特徴です。
ライトが生み出そうとした建築は、アメリカの広い草原に建つイメージのプレーリースタイル(草原様式)でした。それは、建築という形から開放し、外部空間をつなげる表現として屋根を低く抑え、建物が水平に広がる西洋と東洋と現代が融合する新しいタイプの建築です。左右対称で横に広がる姿は、シカゴ博物館で出会った日本建築(平等院鳳凰堂)を思わせます。
また、かなりの日本フリークで、浮世絵の歌川広重の大コレクターにしてディーラーでもあり、日本には1905年の初来日を含め7回の来日経験があります。なお、ライトの建築がアメリカ以外で実現したのは日本とカナダだけとなっています。
ライトは、ニューヨークの東洋美術商に勤務していた林愛作と浮世絵を通じて旧知の間柄であったが、林愛作が帝国ホテル7代目の支配人として着任。新館計画に際し林愛作がライトに依頼したのであった。
ライトは、1910年代初頭に私生活でのトラブルなどがあり、アメリカでの建築家としての活動が暗礁に乗り上げていたこともあり、日本での活動に没頭しました。
日本でのライトの弟子には、遠藤新、アントニン・レーモンド、土浦亀城、田上義也などがおり、日本の近代建築に大きな影響を与えています。

歌川広重「重真間の紅葉手古那の社継はし」
旧山邑家住宅の設計
灘五郷の一つ魚崎郷の山邑酒造㈱(現櫻正宗㈱)8代目当主山邑太左衛門が建てた別邸。別邸建築に際し、山邑太左衛門の娘婿星野二郎と東京帝国大学時代の友人であった遠藤新を通じてライトに設計を依頼することとなった。
1918年にライトは基本設計を行うも、帝国ホテル工事遅延や予算面の問題などがあり1921年に米国に帰国。ライトの基本設計を基に実施設計を遠藤新建築創作所がおこない1923年に着工し1924年竣工しています。

幾何学模様が彫刻された大谷石
旧山邑家住宅(現ヨドコウ迎賓館)
本建物は、芦屋川東岸の六甲山地からのびる丘陵の斜面を上手く利用して、階段状に建てられています。大阪湾を見下ろす屋敷は、ライトの卓越した空間構成力を感じさせます。4階建でありながら、どの断面も1階または2階までの構造となっています。
丘陵の斜面との一体化により、敷地から見える三方の風景を最大限に取り込んでいます。



旧山邑家住宅は、住宅への入口アプローチから始まっています。敷地に入ってすぐに玄関ではなく、敷地内の長い導入路をたどりながら右手にある住宅を鑑賞し、玄関にたどり着くようにデザインされています。
旧山邑家住宅室内
応接室
ライトは、建築を総合芸術とみなし、室内装飾にも強い関心を持っていました。壁画、彫刻、家具、敷物から照明器具や食器に至るまでを自らの手でデザインし、常に建物と室内の調和を図っていました。


左右対称のシンメトリーなデザイン
応接室は、これこそライト建築と思うほどの見事なデザインとなっています。長椅子や照明、柱に棚など細部にまでのこだわりが垣間見えます。


3階和室と廊下


ライトの設計には無かったが、山邑太左衛門の要望により3階の和室はつくられました。ライトはすでにアメリカへ帰国しており、この和室の設計には関わっていません。弟子たちがライトの意を汲み取り、飾り銅板を欄間に使うなどの工夫を凝らしつくられています。
緑色の飾り銅板は植物をイメージしたもので、約200枚が飾られています。ライトは、各建築物ごとに象徴的なものをつくっていたが、この飾り銅板が当建物の象徴となっています。

長い廊下の大きなガラスに施されえいる飾り銅板
4階食堂

食堂は、天井まで施された木枠のデザインが印象的です。ここにも応接と同じく暖炉があり、部屋全体が暖炉を中心にシンメトリーに装飾されています。
天井部分は四角錘のような形になっており、三角の小窓からたくさんの光が差し込むデザインとなっています。


ヨドコウ迎賓館概要
フランク・ロイド・ライトの建築当初の姿をほぼ完全に残すライトの住宅建築は、日本にはこの旧山邑家住宅のみです。この貴重な建物を大切に管理されているのは、㈱淀川製鋼所です。1947年㈱淀川製鋼所が取得し、1989年より「ヨドコウ迎賓館」として一般公開しています。また、芦屋市は、1998年に六甲山地の緑と一体化したこの景観を損なわないために、本建物の北側の土地を買い上げて、山手南緑地として整備し、景観を保護しています。企業と行政が一体となって、地域の歴史的建築物の保全活動が行われております。

電 話 :0797-38-1720
開館日 :水・土・日曜日と祝日
開館時間:10:00~16:00
(入館は15:30まで)
駐車場 :あり

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