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解体計画がすすむ旧香川県立体育館の魅力を探る

香川の名建築|建築家 丹下健三

解体調査中の旧香川県立体育館

解体調査がすすむ旧香川県立体育館

旧香川県立体育館は、東京オリンピックが開催された1964年に竣工した。設計は丹下健三であり、同時期にオリンピック会場として利用された国立代々木競技場(現代々木体育館)の設計も手がけていた。この2つの建物は、同じコンセプト、同じつり屋根構造で造られた双子の建物であったが全く異なる造形であった。
残念ながら、旧香川県立体育館は耐震問題により2014年より閉館し、解体を検討している。解体間近となった旧香川県立体育館の魅力について探っていきます。

旧香川県立体育館

体育館建設の新時代

1950年代の庁舎建築が一巡し、1964年の東京オリンピック開催に向け60年代には新技術を使った体育館の新設が全国各地で進んでいった。

世界の動き

東京オリンピックの前回大会であるローマオリンピック(1960年開催)ではイタリア人の建築家ピエール・ルイージ・ネルヴィによる屋内競技施設パラロットマティカ(PalaLottomatica)は直径60mの円形屋根を36本のY字形のコンクリート部材が斜めに支えるデザインで、シンプルな幾何学の構造設計と貝のような波打つ屋根、シンメトリーなデザインに見られる美しい外観と室内の天井は造形美を備えていた。この屋内競技施設は、現在では主流となっているコンクリートや鉄筋の可能性を広げていくとともに、それまでは大味であった大空間構造に「繊細な美しさ」を切り開いた。

パラロットマティカ(PalaLottomatica)

パラロットマティカ(PalaLottomatica)

パラロットマティカ(PalaLottomatica)

競技施設内

この屋内競技施設は、現在では主流となっているコンクリートや鉄筋の可能性を広げていくとともに、それまでは大味であった大空間構造に「繊細な美しさ」を切り開いた。

吊り構造の建築としてはノースカロライナのドートン・アリーナ(設計:マシュー・ノビッキ、竣工:1952年)イエール大学のインガルス・ホッケーリンク(設計:エーロ・サーリネン、竣工:1958年)が先行してできていた。
革新的な建築設計を押し進めていたエーロ・サーリネンの動向には常に注目していた丹下健三氏は、インガルス・ホッケーリンクのその素晴らしさを理解し、多大な影響を受けた。しかしながら、なにか足りないものを感じていた。それは、ダイナミックな大空間建築であった。

イェール大学ホッケーリンク

イェール大学ホッケーリンク

イェール大学ホッケーリンク

競技施設内

エーロ・サーリネンが設計した愛称「クジラ」で親しまれているイェール大学のアイスホッケー専用のインガルスリンク(Ingalls Rink "The Whale")は3,500人を収容する施設。
大きな梁を真ん中にアーチ状に渡して、そこから両サイドにケーブルを張って屋根を支えています。そして、リンク面を地面より掘り下げて設けることで建物のボリュームを抑えています。この施設をニュヨークタイムスは全米で一番優れたリンクと評しています。
2010年には数百万ドルをかけて改修されており、現在も利用されています。

日本国内での動き

菊竹清訓氏によるブリヂストン・タイヤ横浜工場体育館(構造設計松井源吾:1960年竣工)では屋根にモルタルが載ることで重くなることより、一方向吊り屋根として吊り屋根を導入した。
 
坂倉準三氏による体育館

西条市体育館

西条市体育館(現存せず)

市村記念体育館

市村記念体育館

この時期に設計坂倉準三氏、構造設計岡本剛氏コンビによる体育館として西条市体育館(竣工1961年:愛媛県)と市村記念体育館(竣工1963年:佐賀県)がある。
 
西条市体育館では、新しい技術やアルミの構造材など新しい材料が使用できるようになったため、屋根板にプレキャストコンクリート版を使用し二方向の吊り屋根を導入し巨大な空間を確保した。
 
市村記念体育館では、ジグザグ状の折板で壁をつくり、その中に鞍型のHPシェルの吊り屋根を組み合わせた構造となっている。正面からは西条市体育館に似た兄弟体育館となっていた。

下関市立体育館(設計坪井善勝:竣工1963年:山口県)
丹下健三氏の主要設計ではタッグを組んでいた構造設計家の坪井善勝氏が単独で設計した体育館。同時期の代々木競技場でも構造設計を行っていた。坪井善勝氏としては唯一の単独設計施設となった。
下関市立体育館
下関市立体育館

屋内スポーツ施設では観客の視線を遮る支えなしのスタンドとするため、柱のない大空間が必要とされた。また、多くは公共施設であり、より少ない材料で、より大きな空間を実現することが求められた。こうした要求が重なって施設の設計は構造表現主義的な建築が建てられていった。


国立代々木競技場と香川県立体育館について

国立代々木競技場と香川県立体育館ができるまで

この2つの施設はともに1961年から設計が開始され1964年に竣工している。丹下研究室が意匠を担当した体育施設というだけでなく、共に吊り構造を採用。また、二枚のスタンドを跳ね上げ完結した形を崩すなど共通点が多いが意匠は全く異なったものとなっている。
 
オリンピック開催に向けた時期であること。また、構造的な形態から香川県立体育館は、代々木競技場の設計を中心に進めていた中で、同じ原型を基にしてそれぞれの特性を考慮して設計されたとも考えられている。そのため、香川県立体育館は代々木競技場と双子の建物と言われている。
 
なお、丹下研究室における香川県立体育館の担当は磯崎新氏であったが、この時期体調不良のため入院をしており、どの程度関与していたかは不明である。

丹下研究室では基本検討を行うにあたっては各々のイメージを模型に表現し、一つのテーブル上に並べていき、丹下氏はそれらにコメントし、可能性のある何案かを選び出し、ブラッシュアップを命ずる、というスタイルを選択していた。この時の模型は50~60個作成したと言われている。
形状から客席をアーチ型とするこの造形からのブラッシュアップが代々木競技場、香川県立体育館になったとも考えられる。

代々木競技場の原案模型の一つ

代々木競技場の原案模型

代々木競技場

代々木競技場では15,000人の収容であり、客席がアーチ上に盛り上がる円状の案ではどうしても単調となってしまい、飛翔感がでない。また、入場者の円滑な秩序をもって出入りすることが求められており開かれた空間として2つの巴型をつくる案へとブラッシュアップされていった。

代々木競技場

国立代々木競技場

 
代々木競技場

軸線が意識されている

代々木競技場は明治神宮に面して原宿から渋谷に向かって傾斜のついた複雑な地形であった。そのため都市とのかかわりから、敷地全体と最寄りの駅からのアプローチを強く意識した。そして三日月状のスタンドを巧みにずらしながら開放的な平面を持つ大体育館(第一体育館)と、それに連なる小体育館(第二体育館)の連続体として構想された。

代々木競技場第一体育館

第一体育館は、巴型に配置されたコンクリート製のアーチ状の観客席と2本の支柱のあいだに架けられた直径33cmのケーブルを2本張り、そこから鉄骨によるサブの吊りを架けて屋根を支える複雑な構造となった。
屋根はまるで瓦屋根の大棟と鴟尾のようでもあり、スタンド外壁の格子を想わせるデザインなどは日本の造形美を表現している。

代々木第一体育館室内
代々木競技場第一体育館

代々木競技場第二体育館

第二体育館は、1本の支柱から螺旋状形に吊りパイプが架けられ、屋根面が吊り渡されています。トランペットのベルを伏せて、少しねじったような流麗な姿で全体として渦巻銀河を思わせる。館内は円錐形の見事な天井となっており、外観は貝殻やカタツムリの殻など生物のような形をしている。

代々木競技場第二体育館
代々木競技場第二体育館
代々木競技場第二体育館図面

香川県立体育館

香川県立体育館は1300席収容。当初はインガルスリンクと同じように体育館全体を地面に半分沈めた案としていたが、丹下氏は香川県知事らとの対話の中で、颯爽とした印象となるとして水に浮かぶ舟のように体育館を空中に持ち上げることを提案し四本柱に支えられ宙に浮いた力強い造形となっていった。

旧香川県立体育館

香川県立体育館は塩田跡地であり地盤がゆるいため、重いコンクリート製の建物を建てるには大規模な地盤改良が必要であった。そこで、敷地中央に構造要素を集中させ、地盤改良を最小限に抑え体育館全体を浮かせることで、一階レベルを可能な限り開放的にした。また、立地面では駅など公共交通機関からの距離がややあること。また、周辺には主要な施設もなかったことより、当施設が象徴的な施設となることが求められた。

旧香川県立体育館

二枚の笹の葉が対象形を作ったまま和船を想起させる縁梁(側梁+妻梁)を巨大なP.S造パーツでくみ上げた。跳ね上げたスタンドは4本の柱脚で施設全体が持ち上がり、スタンドの跳ね出しを大きくすることで、ダイナミックな外観としている。

旧香川県立体育館室内風景

香川県立体育館競技施設内

スタンド部分の外観の対比

代々木競技場第一体育館の RC 造スタンド部分は巨視的には一つの平面的なアーチとみなすことができる。また、横断的にはスタンドが柱から 13m も張り出し、スタンド端部に取り付いたこま柱の先端に屋根面からの張力を受けている。スタンドはダブルスラブを採用し、平滑でダイナミックな片持ちスタンドの外観が実現した。
 
香川県立体育館は楕円形を崩し、長軸方向の両端に開放的なエントランスを配置している。観客スタンド部分は和船の両側の舳先部分に該当し、外から見た際、格子梁に支えられた床が印象的となっている。また、横断的には片持ち構造で23mも張り出していますが、上に反った台形であることと格子梁の力強い造形のおかげで、片持ちの建築にありがちな不安定さは感じません。4本足で全体的に浮いたようにデザインし、大胆な迫り出しはその浮遊感を一層強調している。

旧香川県立体育館
スタンドの外観は共に原始的な力に富み、ディオニソス的な造形として縄文的なものを表現している。

ル・コルビュジエの影響

代々木競技場

ル・コルビュジエは、「ソビエト宮殿 Palace de Soviet」コンペ案(1931)で、大劇場の巨大な一枚屋根を巨大な梁と放物線アーチによって吊り下げるというそれまでだれも考えなかった驚くべき案を出しました。

ソヴィエト・パレス案

ソヴィエト・パレス案

この案は当時の建築界に大きなインパクトを与えましたがスターリン体制下のソビエトに前衛的なデザインが受け入れられず、落選しこの驚異の作品は実現することはなかった。
 
このソヴィエトパレス案を見た丹下健三氏は建築家の道に進むことを決意した。実現することがなかったソヴィエト・パレス案のアーチと吊りに象徴されるダイナミックな構造表現を代々木競技場での吊り屋根構造とアーチ(三日月)状の客席でみごとに実現させた。
 

代々木競技場

代々木競技場

香川県立体育館

ル・コルビュジエのロンシャン礼拝堂(1955年)はサヴォワ邸などに見られた「近代建築の5原則」に基づいた合理性・機能性とは一線を画す作品で、彫刻的な曲面と丸みを持った外観と打ち放しのコンクリートとスタッコでできた厚くて白い壁が特徴的な作品であった。ル・コルビュジエの作品は仕上げのされていない剥き出しのコンクリートの有機的で彫刻のような造形が多く見られるようになった。

ロンシャン礼拝堂

ロンシャン礼拝堂

丹下健三氏も近代建築の5原則を取り入れモダニズム建築と日本の伝統的な形をみごとに融合させた香川県庁舎を最後に民衆のエネルギーを表現させる有機的な造形に進んでいった。香川県立体育館の直前に設計した日南市文化会館では鼓形の平面を立体に展開し、日南の山並みや海といった自然環境を表している。また、ル・コルビュジエの影響を受けたカーゴィルも設置されている。

日南市文化会館

日南市文化会館

香川県立体育館では吊り屋根とそれを支える巨大なコンクリート壁の曲線の組み合わせは丹下健三氏の独創的な造形が爆発的に開花し、世界に類をみない独自の形態をもったブルータリズムな建物となった。
 

旧香川県立体育館
 
代々木競技場は世界のトップアスリート達が競う場所としての施設であり、外観は日本的要素を組み入れながら、ル・コルビュジエもなし得なかったダイナミックな造形による構造表現を実現し、観客と選手たちの一体感をもたせる理想形の施設となっている。一方、香川県立体育館は県民に親しまれる身近な施設であり、地域の歴史や風土などの特徴を上手く取り込みつつ、ル・コルビュジエのコンクリート技法や彫刻的手法をもちいてブルータリズムの力強さを表現している。そのため、地域の人々に「舟の体育館」と親しまれる施設となった。
 
この二つの施設は同時期であり、共にル・コルビュジエの影響を受けた同じ原型をもとに設計された建物であるが、丹下健三氏の手腕によって、その施設に求められる特性にあった意匠を上手く表現している。

構造設計者

代々木競技場は坪井善勝氏
東京大学生産技術研究所第5部教授で、香川県庁舎の構造設計をはじめ、丹下健三氏の主要作品の構造設計を担っていた。
 
香川県立体育館は岡本剛氏
レーモンド事務所にて群馬音楽センターの構造設計を担当。また、坂倉準三氏が設計した西条市体育館や市村記念体育館の吊り構造設計をおこなうなど国内では少ない吊り構造設計の第一人者であった。

香川県立体育館の構造設計には苦労があった。手計算で行われた構造設計書は800頁に及んだ。また、施工時には入念な基礎工事が終わった段階で、構造的な設計変更が行われた。それは、吊り屋根のケーブルによる引張力を受けるため、巨大な側梁を一般的なRC造から、あらかじめ圧縮力をかけたピアノ線を入れて引張力を相殺するプレストレスト・コンクリート(PC)造へと変更したとのことである。
 
高松市出身で前川國男氏との協働が多かった構造家木村俊彦氏は「新建築」1965年6月号にて、この建物について「見掛けの郷土色とは全く異なった、いわばすべてが計算され尽くされた、世界に類例をみない弾性構造計算の極地」と評した。


香川県立体育館の特徴

正面エントランスから約20mにおよび上へ跳ねだした部分。近くで見ると巨大な庇のような下部にはワッフルスラブと呼ばれる格子状になっており、その裏側にアリーナの観客席が階段状に設置されている。

香川県立体育館 エントランス
香川県立体育館室内

建物を支える巨大なひれのような柱と和船を想起させる縁梁を複数の巨大なP.S造パーツでくみ上げている。また、窓のような空調も特徴的。

日南市文化会館にもあったカーゴィルは体育館両サイドにあるが、その下に池を設置し、地元の庵治石による大屋根の水受けを兼ねた石庭が造られている。これらは、丹下健三氏から信頼が厚かった山本忠司氏とイサム・ノグチの共同制作者和泉正敏によって作庭されたものである。自然石の一部に手を入れた石を設置することで、香川県庁舎南庭と同様に力強い縄文的な作風となっている。

旧香川県立体育館
旧香川県立体育館
旧香川県立体育館

船の体育館再生の会HPより

内装は香川県庁舎と同じく剣持勇氏によるもの。

香川県立体育館の今後の動向

現在、体育館は耐震問題で閉館されており、香川県が解体に向けた準備を進めていることが報道されている。2023年度の当初予算案に解体準備事業費として約4600万円を計上していましたが、解体工事の方法や費用についての計画を作成する業者が、高松市の森勝一設計事務所に2023年8月に決まりました。策定された計画に基づき来年度以降解体をするための入札が行われる予定です。

 

解体への動きに対して2017年には、ワールドモニュメント財団が緊急に保存が必要な「危機遺産」に登録し保存を訴えている。また、地元香川県でも建築家の河西範幸さんが代表となって「船の体育館再生の会」を立ち上げ活動をおこなっている。

 
旧香川県立体育館
 
体育館は構造が全体のバランスで成り立っているため、耐震工事が難しいとは言われているものの、丹下健三氏によるブルータリズム的な独特のフォルムを持つこの建物は香川の至宝である。なんとか後世に残したい建物である。

 

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瀬戸内にある丹下健三の初期の作品を楽しむ

瀬戸内には1950年代から60年代にかけての丹下健三の初期の名建築が点在しています。初期の作品はル・コルビュジエの影響を色濃く受けながら、日本的要素を融合させた作品からブルータリズムへと転換していく過程を楽しむことができます。

高松のモダニズム建築を楽しむ

高松市には1950年代から70年代前半にかけてのモダニズム建築が点在しています。香川県庁舎から始まった戦後復興はル・コルビュジエの影響を色濃く受けながらも、次第に地元の風土に根ざした建物へと転換していく過程を楽しむことができます。
 

鳴門市文化会館 建築家増田友也

同じル・コルビュジエ建築に憧憬を持った同世代である東京大学教授の丹下健三氏は神聖な造形美、モニュメンタルな建築を主体とした。一方の京都大学教授の増田友也氏は哲学的思考に基づく建築論を専門とし静かな存在感を主体としていた。鳴門市文化会館は増田友也氏による渾身の遺作となった。