豊島横尾館は、総合プロデューサー福武總一郎の構想の下に、横尾忠則がアートワーク・コンセプト、建築家永山祐子が古民家3棟のリノベーションと円筒の新築をてがけた古民家美術館。
横尾忠則
《堅々獄夫婦庭訓》1965年
Y字路
1936年 兵庫県西脇市生まれ
1956年 神戸新聞宣伝技術研究所に就職
1960年 日本デザインセンターに入社
1964年 独立しグラフィック・デザイナー、イラストレーターとして活動
日本の土俗的なモティーフとポップ・アート的な感覚を融合させた独自の表現で注目されました。その独自の画境は三島由紀夫、寺山修司らにも高く評価された。
1966年 瀧口修造らと「エンバイラメンㇳ」の会結成
1972年 ニューヨーク近代美術館で個展
1980年にニューヨーク近代美術館で観たパブロ・ピカソの個展に衝撃を受け、絵画の道を究めることを決意し「美術家」として絵画を主軸に創作を展開。
その後は「滝」「Y字路」シリーズなど、夢と現(うつつ)、死と生を行き来する横尾芸術が進化。「死の側に立って、現実の生を見つめる」という視点に立った作品を作り続けている。
永山祐子
2020年ドバイ国際博覧会日本館
1975年 東京生まれ
1998年 昭和女子大学生活美学科卒業
青木淳建築計画事務所入所
2002年 独立し永山祐子建築設計設立
LOUIS VUITTON京都大丸店、カヤバ珈琲店などをてがける
2005年 ロレアル賞奨励賞
2014年 JIA新人賞
2020年 ドバイ国際博覧会日本館をてがける
豊島横尾館構想
「死の島」
死の島
19世紀に活躍したスイス出身の画家アルノルト・ベックリンにより描かれた作品。夫をなくした未亡の人からの依頼がきっかけで制作された「死の島」には、暗い水辺の向こうに浮かぶ荒廃した岩と糸杉が反り立つ小島に白裝束の人物と小舟が到着しようとしている場面が描かれています。
ギリシャ神話では死者が冥界に行くとき、「船漕ぎ人カローンとともに船に乗り、河を越えて冥界にたどりつく」と言われています。船に乗った棺桶が、海または川を渡って、死の島に向かうというイメージは、ここから着想を得ていると考えられます。
目指した建築
古民家3棟のリノベーションと一部の増築からなる美術館の立地は、非日常空間と日常空間が隣あう敷地であった。この美術館で永山祐子氏が目指したのは、建築と作品が一体となった空間であった。それは、建築という三次元表現を絵画的な二次元表現に近付けることであった。
手前の納屋、倉、母屋の既存3棟を回遊する新しい順路を考えることとし、既存アプローチを白紙に戻し、内外の空間体験を挟みながら迷路のように進む新しい順路を考えた。
「生と死」は横尾作品の根底にあるテーマであり、日常の中に流れる共通のテーマでもあり、作品から固定化されない生命の変化と循環を感じ、常に変化し、循環し続けるシーンの集合体として考えていった。
永山祐子氏は「生と死」、隣り合う「日常と非日常」の境界として赤ガラスを用いた。赤は、横尾氏が幼い時に見た戦火が染める真っ赤な夜空であり、同時に血潮がほとばしる生命エネルギーの表象でもあった。
イタリア広場
イタリア広場
中央に建つ14mの煉瓦の塔は、ジョルジョ・デ・キリコの「イタリア広場」に建つ煉瓦の棟と対応しています。内部には世界中から蒐集した滝のポストカードを張り巡らし、天井と鏡にすることで、天と地を無数の滝のポストカードで万華鏡にメタモルフォーゼさせています。
横尾忠則氏は塔を男性原理、川は女性原理に見立てた。
庭園と母屋
永山祐子氏は、庭から母屋の下に流した三途の川を見れるように、母屋の玄関と絵画の間にある座敷の中央を真っ二つに割り、透明なガラスの屋根、壁と床を敷き、生と死の境界線を演出しています。
建物の光や色をコントロールする色ガラスは、時間や季節により、作品の見え方をさまざまに変容させて、空間体験をコラージュのようにつなげています。