今治市伊東豊雄ミュージアムは、近代主義的な建築に限界を感じ、地方こそ人と人をつなぐ、自然環境と調和した新たな建築の可能性があると考え、瀬戸内という地域独自の風土や文化に根ざしたコミュニティをいかに再構築できるかを挑戦している「大三島プロジェクト」の拠点としてできました。
伊東豊雄
台中国家歌劇院(台湾)
1941年 京城市(現:ソウル市)生まれ
1965年 東京大学工学部建築学科卒業
菊竹清訓建築設計事務所入所
1969年 菊竹清訓建築設計事務所退所
1971年 ㈱アーバンロボット(URBOT)設立
1976年 中野本町の家竣工
1979年 ㈱伊東豊雄建築設計事務所に改称
1984年 シルバーハット竣工
2000年 せんだいメデアテーク竣工
2010年 トーレス・ポルタ・フィラ(スペイン)竣工
透明・半透明のガラスや楕円形のフォルム、周囲の環境を生かした建築が特徴で、国内外の様々な建築物を手掛けています。
プリッカー建築賞、ヴェネツィア・ビエンナーレ「金獅子賞」、マドリード美術協会(CBA)金メダル、日本建築学会賞作品賞などを受賞しています。
都市に向いた建築の限界
- 近代主義、資本主義の象徴であった「都市」
- 工業製品のように均質につくられる「都市」
- 人の生活さえ金儲けの対象にしてしまう「都市」
都市に対応しているだけの建築では、目前に立ちはだかる問題を解決できないと伊藤豊雄氏は考えています。
資本主義と近代が終わったこの時代に「より速く、より遠くへ、より合理的」という近代の信仰を信奉し続けていると、より速い合理的な解決は困難になり、近代の目指す方向とは逆の方向に流されてしまう。
近代の信奉を解放した生活から、これからの建築を考え直していき、都市ではない場所に目を向けることから始めたいとし、地域や自然に根ざした文化、生活をテーマにした建築は地方であると考えたのであった。
- 自然との関係を回復する
- 地域性を取り戻す
- 土地に固有の歴史や文化を継承する
- 人びとの繋がりやコミュニティの場をつくり直す
大三島プロジェクトは、瀬戸内という地域独自の風土や文化に根ざしたコミュニティをいかに再構築できるかに挑戦しています。
その場所特有の空気や熱環境と繊細な関係を保つことによって、多様な内部環境をつくることが求められています。
伊東建築塾
いろいろな視点から未来の建築を探ろうと、3つの活動を行なっています。
- これからの社会のあり方やライフスタイルを問う会員向け公開講座
- 限られたメンバーで、年間を通じてこのテーマをより深く議論し合う塾生講座
- 小学校の子どもたちを対象とした、家や町に学ぶ子ども建築塾
この建築塾を足がかりに、現在では定期的に大三島を訪れて島の方々と交流を深めながら、島の魅力向上に繋がる活動を行っている。伊藤豊雄氏は残された第二の建築人生を島づくりに賭けていき、そのプロセスを通してこれからの建築の可能性を探っている。
さまざまなテーマでプロジェクトを実施している。プロジェクトの運営方法やゴールはあえて決めず、効率的に進めるという近代的な発想ではなく、ミュージアムと建築塾というプラットフォームを共有しながら、志ある個人が立ち上げた自立的なプロジェクトが緩やかに繋がっていくイメージで進んでいる。
大三島ふるさと憩いの家
TIMAの特徴
TIAM敷地図面
スティールハット
シルバーハット
今治市岩田健母と子のミュージアム
伊東豊雄によりつくられた今治市岩田健母と子のミュージアムは、大三島ふるさと憩いの家に併設されています。施設は、直径30メートルの円形の壁で構成されており、岩田健さんの44体の彫刻が、さまざまな高さに、さまざまな向きに置かれています。
伊藤豊雄氏の思い
「都市か地方か」ではなく「都市も地方も」というライフスタイルを実践し、柔軟に都市も地方も互いの良いところを活かしながら関係性を深めていく。
ネットを活用し空き家や空き室を活用できる可能性も生まれており、所有や管理といった縛りから解放することで、もっと自由に自分の生き方や暮らす場所、暮らし方が選択できる時代が来ている。
建築とは、人びとを繋ぎ、新しい何かを生む場所や空間にかたちを与えていくことだと思います。
これまでの設計プロセスを見直し、光や風などの自然そのものをデザインに取り込み、人が気持ちいいと感じ、安らぎを得られる要素から空間を発想した「ぎふメディアコスモス」
建築は、近代主義が切り離してしまった建築と人びとの距離を縮めることだけでなく、一般の人たちの手に建築を取り戻すことにより、建築に自然を回復させ、地域性や歴史文化を継承させ、コミュニティを再生させることに繋がっていくと伊藤豊雄氏は考えています。