旧岡山県総合文化センター(現岡山県天神山プラザ)は、旧岡山県庁があった天神山に図書館を中心とした文化施設として1962年にオープンした。設計はル・コルビュジエに師事した建築家前川國男によりおこなわれた。現在も岡山天神山プラザとして芸術文化活動や文化情報発信の拠点として岡山県民に親しまれている。この旧岡山総合文化センターの魅力についてみていきます。
岡山県庁舎と前川國男
1949年に岡山県庁舎の位置調査委員会が発足し、1953年に設計競技が実施され前川國男氏が選定された。
前川氏は「名実ともに日本一の模範的県庁を実現する覚悟でおります」と説明し、スチールサッシのカーテンウォールと打放しコンクリートの柱梁が調和した力強く軽快な外観が特徴の県庁舎を設計。本館と議会棟を回廊と渡り廊下で結び、外部空間から内部空間へ流れるように続く平面計画は、親しみやすい民主的な庁舎の先駆けとなりました。
岡山県庁舎(1957年竣工)
旧岡山県総合文化センター
1961年に竣工した岡山県総合文化センターは図書館と展示室、300席ホール、日米文化センターの4つの機能をもった総合文化センター。設計者は岡山県庁舎に尽力した建築家前川國男氏が選ばれた。この時期の前川國男氏はル・コルビュジエが設計した東京上野の国立西洋美術館(1959年竣工)や代表作となった東京文化会館(1961年竣工)を手がけていた時期でもあり、ル・コルビュジエの影響を色濃く受け、50代であった前川國男氏にとってはモダニズム建築作品がもっとも充実した頃につくられた。
国立西洋美術館
東京文化会館
旧岡山県総合文化センターの特徴
1階ピロティ
敷地が手前の道路から8mもの高低差がある傾斜地で、予算も厳しかったことより、2階図書館(現在はホール)を大きな箱として柱で浮かせ、その下から奥の展示室やホールに入れるようにしている。
これは4つの施設の性格がそれぞれ違うため。ホールにはイベント前後に大勢が一斉に出入りするのに対し、図書館等は随時人が訪れるため動線を分けている。
敷地の東側(奥)に寄せて南北に長い1階を置き、その上に東西に長い2階をT字型に重ね、はみ出た2階の下をピロティとしている。
前川國男氏の作品の中でル・コルビュジエの色使いに影響されている作品の一つではあるが、入口のピロティの天井一面を黄色で仕上げているのはここのみである。
暗い空間になりやすいピロティであるが、天井一面を黄色にすることで明るく感じる。
ピロティ、木目のあるコンクリートの柱や黄色の天井などモダニズム建築の手法と前川國男氏の特徴であるタイル(ヘリンボン柄)と北側の庭園(入口左側)が上手くまとまっている。
ル・コルビュジエのペサックの集合住宅
レリーフ
軒下を奥に進むと吹抜けがあります。コンクリートの壁には高さ18mのレリーフ「鳥柱」が彫られている。「鳥柱」は海中から天空に舞い上がる鳥をモチーフに生命を表現したものです。色ガラスを用いた生命力あふれた形は直線的な建物とは対照的で躍動感を感じる。
彫刻家の山縣壽夫氏によるもので、この作品を手がけた後にイタリア政府留学生として渡伊しマリノ・マリーニ氏に師事。帰国後は日本各地のモニュメント、公共建築物等のレリーフを手掛けた。
正面中央の外階段
ピロティを奥に進むと展示室やホールとなっている。手前の階段(崖側)を上ると2階の図書館(現在は展示室)に直接向かう機能とすることでさまざまな文化活動を行う市民がピロティで交わりながら、それぞれの場所に向かわせている。
2階図書室(現展示室)
ホールのロビーは、戦後のヨーロッパにおける抽象表現主義の影響を受けている。
壁の切れ込みはイタリア画家のルーチョ・フォンタナによる「切り裂かれたキャンパス」シリーズ。1958年頃から開始された切り裂かれたキャンパスは最も革命的な表現でかつ偶像破壊的表現と言われた。
天井の青色は、単色の作品を制作するモノクロニズムを代表するフランスの画家イヴ・クライン。イヴ・クラインは、1948年頃から、単色によるモノクローム絵画の制作を始めましたが、1957年にミラノのギャラリーで開催された個展で、オリジナルの青色顔料「インターナショナル・クライン・ブルー(IKB)」を使用した作品群を発表し、一躍注目を集めました。この青色顔料のIKBは黄金より貴重と言われた。
これらの抽象表現主義の作品に触発された前川國男氏は、夜空の星のように散りばめられた照明や三角形状に彫り込まれたハイサイドライトなどの意匠を取り込みモダニズム的なロビーをつくりあげた。
建物外観
この時期の前川國男氏はル・コルビュジエの影響を強く受けていた時期でもあり、ル・コルビュジエ的なデザインによりまとめられている。その中でも、一部にプレキャストコンクリートを用いてテクニカルアプローチに取組んだり、ヨーロッパの抽象美術から触発されたデザインやヘリンボンのタイル、和風庭園など前川國男氏のオリジナリティを上手く融合させたモダニズム建築となっている。
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瀬戸内には1950年代から60年代にかけての丹下健三の初期の名建築が点在しています。初期の作品はル・コルビュジエの影響を色濃く受けながら、日本的要素を融合させた作品からブルータリズムへと転換していく過程を楽しむことができます。
高松市には1950年代から70年代前半にかけてのモダニズム建築が点在しています。香川県庁舎から始まった戦後復興はル・コルビュジエの影響を色濃く受けながらも、次第に地元の風土に根ざした建物へと転換していく過程を楽しむことができます。
同じル・コルビュジエ建築に憧憬を持った同世代である東京大学教授の丹下健三氏は神聖な造形美、モニュメンタルな建築を主体とした。一方の京都大学教授の増田友也氏は哲学的思考に基づく建築論を専門とし静かな存在感を主体としていた。鳴門市文化会館は増田友也氏による渾身の遺作となった。