1960年に東京で開催された「世界デザイン会議」にて建築家浅田孝、菊竹清訓、黒川紀章、大髙正人、槇文彦らは新陳代謝する都市のアイデア「メタボリズム」を発表し、大きな反響を巻き起こした。このメンバーの一人である大髙正人氏が坂出市にて実現させた日本で唯一の人口土地の魅力をみていきます。
人口土地
人工土地とは
近代都市が抱える劣悪な住環境などの問題を新たな技術と都市理論によって解決しようとする動きの中で、人工土地の概念を都市や建築の領域に初めて持ち込んだのはル・コルビュジエによる提唱でした。
大髙正人氏は人工土地を都市計画的立場からとらえ、細分化された日本の前近代的土地所有形態を立体的に再構成するとともに、人工土地の下部を主として公共的・都市的利用に供し、私有地との調和を図りつつ公共用地の絶対的不足を打開する手段としてこれを位置づけた。
坂出人工土地では上下の建物と独立した平面の地盤が建設された。人工土地上での新築・増改築・解体に耐えうる建築用地として機能することが求められたため、柱スパンが9.18mで格子状に梁を配した人工土地が造成された。一定の地域で一定の条件のもとで建築行為は可能とした。
((社)日本都市計画学会資料より)
大髙正人氏の理想
「私たちはこの計画に数々の空間構成の夢を盛り込み、乏しい予算の中で、将来の都市デザインの方向を暗示したいと考えた。単に一個の名建築をめざすのみではなく、現代都市の問題を思索し、その将来に対して問題を提起したいと考えたのである」(大髙正人「実現する人工土地」「新建築」1964年12月号)
大髙正人氏にとってのここでの挑戦は「人工土地」という特殊条件を越えて、当時の我が国の住宅団地づくり全体に対する批判的総括であり、創造的挑戦であった。大髙正人氏の関心はあくまでも居住者の多様なコミュニティーや生活ニーズをしっかりと受け止め充実した屋外住宅を造ることにあった。
共同生活の楽しさあふれる変化に富んだ屋外空間の造形(群造形)を求めたのである。
人工土地の特徴
坂出駅からの入口には広場を設営している。人工土地の下層はテラスハウス型の店舗で、道路側の店舗は商店街にアーケードをかけたような感じとなっている。
人工土地1階の内側部分は昼間でも暗い。店舗は主に居酒屋など夜のお店が中心となっている。
DOCOMOMO100選 選定理由
- 装飾を用いるのではなく、線を面の構成による美学の適用
- 技術の成果がデザインに反映している
- 社会改革的思想が見られる
- 環境形成(広場や建築群の構成)という観点でデザインされている。
この人工土地は人工地盤の下の自然の土地に小規模ながら充実した市民ホール(800人収容)を実現させたことは、特定の居住者や商店主のためだけではなく、全市民のための中心市街地再開発事業が成功したことを意味した。
改修された坂出市民ホール(坂出市HPより)
坂出市民ホール内部(坂出市HP)
坂出市では2022年1月に坂出市民ホールの大規模改修工事を実施し、人工土地の再生を図っている。坂出市民ホールはホワイエ空間を前面ガラス壁にすることで、夜間の使用時にも美しい外観となるよう改修された。
坂出人工土地の今後
1966年から始まった坂出人工土地は第4期工事にわたり1985年まで行われた。当時の坂出市清浜・亀島地区は坂出駅からすぐの坂出市街の中央にあり立地は良かったが、明治から大正初期に市街地としてできた住宅街であり、老朽化しつつあった密集市街地であった。
この地域の再開発として、単なるアパート数棟を建て替える手法ではなく、街自体を大きく変革させる人工土地という時代の最先端の手法が使われた。これは日本で唯一の人工土地であり貴重な遺産である。
坂出市は「坂出駅周辺再整備基本構想(案)」(令和5年2月)にて市民ホールを核とした文化的活動拠点とし、人と文化の交流と創造の場として位置づけて再生戦略をかがけている。
- 市民ホールを核とし、文化活動を身近に感じられる場の創出
- 街路沿いの店舗や交差点の広場を活用した滞留空間の創出
- 建築的価値をいかし、市民が誇れる場所としての愛着と誇りの醸成
- 利便性と建築空間をいかし、市外からの来訪者も見据えた展開
メタボリズムの構想は古くなったり、機能が合わなくなったりした部屋などのユニットを新しく取り替えることで、社会の成長や変化に対応し、これを促進することであり、時代とともに新陳代謝をはかることを求めている。坂出市による建築的な価値をいかした人工土地の再生戦略に期待したい。
老朽化した建物の改修工事は続いている。