神戸ポートタワーは、世界最初のパイプ構造の観光タワーで、その形は世界でも例のないユニークなもので「赤い貴婦人」「鉄塔の美女」などと称され、神戸のランドマークとして地域の人々に愛されている。その神戸ポートタワーが出来るまでの経緯、建築家の発想などから、その魅力を探っていきます。
神戸ポートタワーができるまで
ポートタワー建設のきっかけ
神戸港の拡充整備に尽力した原口忠次郎神戸市長は、日本経済を発展させる海運貿易の基盤となる港湾を一般の人々に知ってもらい、港と日常生活との関わりや神戸港の発展に関心を持ってもらえるにはどうしたらいいかを考えてきた。原口市長がオランダのロッテルダム港を視察したとき、港を一望できるタワーを見て、「ぜひ神戸にもこれに勝る魅力あるタワーを建て、訪れる人に繁栄する神戸港を見てもらいたい」と願い、神戸港開港90年を記念して建設計画が具体化していった。
神戸市当局からの要望と設計陣の想い
神戸市当局からの要望は「他の都市のタワーに負けない世界的価値があり、かつ美しい神戸の街にマッチした市民のシンボルとなること」であった。
それに対して、日建設計工務の設計陣は「戦争で壊滅状態になっていた市街がようやく生気を取り戻し、むしろ戦前以上の繁栄を誇り得るまでになった。その神戸の象徴であるからには、それにふさわしいユニークなものでなければならない」との想いを強く抱き取り組んだ。
当時のタワー建設の状況
日本で初めてのテレビ放送用集約電波塔が出現したのは1954年の名古屋テレビ塔であった。142m高の鉄骨トラストに38m高であった。その後、1955年二代目となる大阪通天閣(約100m)、1957年さっぽろテレビ塔(147m)そして1958年に日本電波塔が東京タワー(333m)として出現した。それらは「耐震構造の父」と呼ばれた内藤多仲氏によって設計された。なお、東京タワーは内藤多仲氏と日建設計工務によって設計された。
名古屋テレビ塔
さっぽろテレビ塔
東京タワー
タワーの設計
神戸ポートタワーは電波塔としての機能が求められていないため、デザインの自由度は高いが、港の突堤に建設するため基礎幅の制限から構造的に100mが限度であることが判明した。原口神戸市長の「世界に類例をみないもの」の要望に答えるにはどうしたらいいか。当時、建設中であった横浜マリンタワーのように展望室の下に幅の異なる支えとすることも考えたが、どうしてもシルエットがデコボコとなってしまう。世界に類例をみないものとするには、一体感のある、連続体のようなフォルムが必要であるとの結論に至った。
横浜マリンタワー(高さ106m)
灯台を意識したデザイン
塔体は10角形で展望台部分は20角形
設計は、当時隣接するポートターミナルを担当していた廣瀬二郎氏となった。意匠的な連携が強く意識され指名された。廣瀬氏は昭和5年生まれ京都工芸繊維大の建築工芸学科出身で当時30歳代であった。
廣瀬氏は何度もフリーハンドで図面を描いた。その中には鼓のようなシルエットもあったが、望ましい外郭線を決められず、一週間位が経った頃、そこには数学的にきれいな形が不足していることに気づいた。それに気づいた瞬間、中学二年の数学で「円筒形をギュッとねじったもの」を描いたことが鮮やかに蘇った。
最初に描いた図面では上円の直径15m、下円の直径24m、高さ90mであり、それぞれの円を16分割し、位置を135度ずらして点を結んでいる。直線の柱列が135度ねじられることによって双曲面が現れた。
すべてが計算で決まる無駄のない完璧な形になった。その構造体の中心に内塔を入れ、そこにエレベーターが入ることを図面で確認し、直ちに模型を作成した。
最初に描いた神戸ポートタワー図面
構想から実現へ
模型を当時鋼管構造研究の第一人者であった構造設計部の多田英之氏に相談した時の第一声は「これはいけるで!」と力強い回答であった。
持ち込まれた形態はその鋼管の1本が頂点から基底まで一直線に走り、これをジェネレーティングラインとした一葉双曲面構成である。それぞのラインをいかに美しく見せるかであった。また、タワーの中心にエレベータ、階段、各種ダクトを通すシャフトが設けられるが、これと鋼管構成部との形態的釣合いを考慮しなければならない。これらは意匠にも大きく影響を与えた。それ以上に、建築基準法にない構造であり、世界的に全く新しい形式に対する構造力学的追求を検証しなければならなかった。風圧力、振動性状、耐力などすべてが未知であった。
そこで、多田氏は母校である東京大学をはじめ、東北大学、建設省建築研究所を巻き込んだ大掛かりな研究体制で取り組んだ。
こうしてタワーとしては世界初のパイプ構造による建造物ができあがった。
籠状に編まれたパイプ鋼管は、上部にいくに従ってねじれているように見える。しかし、32本のパイプはそれぞれが一直線に斜め上部へと伸び、タワーのくびれ部で交差することで、なだらかなフォルムを見せた。
多田氏は「論理的合理性の近傍に美が存在し、美的でないものには論理が欠けている。論理と美的な感覚とは一致するのが理想である」と語っており、機能主義・合理主義的解決策を重視していた。
廣瀬二郎氏と多田英之氏の二人の才能と日本のトップ日建設計工務(現日建設計)の組織が実現させたプロジェクトであった。
神戸ポートタワーのその後
その後の神戸港は、日本経済の発展とともに港域の拡大や港の近代化にも対応し、1973年から6年連続でトン数ベースでのコンテナ貨物取扱量世界1位を記録するなど飛躍的な発展を遂げていった。
1995(平成7)年1月、この地を襲った阪神・淡路大震災により岸壁は崩れ、路面は波打ち、周囲のビルも大きな損害を受けた。そのようななか、神戸ポートタワーはほとんど損傷を受けることがなかったことは、構造設計が適切であったことが証明された。
2021年にはリニューアル改修工事が開始された。工事の内容は主に下記5項目となっている。
①耐震改修工事
②低層4階テラス及び展望階展望歩廊新設工事
③エレベーター更新工事
④老朽化対策工事(トイレ改修・設備機器の更新・外部塗装改修等)
⑤照明器具LED化工事
修繕中のプロジェクションマッピング
“地域で愛され、世界に認知される神戸のランドマークへ”をテーマにリニューアルする神戸ポートタワーは、 神戸を五感で楽しんでいただける施設に生まれ変わっています 。
低層部分
改装後の1階
展望台
展望テラス
開発が進む神戸港
三宮市内と六甲山