千光寺頂上展望台PEAK
PEAKは尾道市の名所千光寺山の頂のあり方を見直しできた新展望台。これまでになかった尾道の街歩きから連続して愉しめる展望台となっていた。
設計
青木淳
- 1956 神奈川県に生まれる
- 1980 東京大学工学部建築学科卒業
- 1982 東京大学大学院工修士課程修了
- 1982 磯崎新アトリエ勤務
- 1991 青木淳建築計画事務所設立
- 2019 東京芸術大学美術学部建築科教授
- 2019 京都市京セラ美術館の新館長就任
- 2020 品川雅俊をパートナーに迎えASとする
主な作品:青森県立美術館、潟博物館(ビュー 福島潟)、馬見原橋、京セラ美術館リニューアル、LOUIS VUITONなど
観光地の施設についてはモニュメントではなくシンボルであることが大切であると考えている。
モニュメントとなると1回しか来てくれないが、シンボル施設は都会に出て行った人が帰省で帰ってきた時に「あ、帰ってきた」と感じる場所であり、日常的に地元の人も利用し、それが皆の心の中に残り何度も来て楽しんでくれることで恒久的施設となることができる。
千光寺公園リニューアル事業
千光寺公園は尾道市中心部から北側の小高い山の千光寺山の山頂から中腹にかけて広がり「千光寺」をはじめ「文学のこみち」や「尾道水道」を一望できる尾道市を代表する観光スポット。1957年に旧展望台とロープウェイが整備されて以来、長く尾道市の観光名所として市民や観光客に親しまれてきた。
千光寺ロープウェイ
尾道の坂道
千光寺
尾道市立美術館
尾道市街概略地図
プロポーザル
2018年7月に行われた千光寺公園頂上エリアリニューアル基本実施設計業務プロポーザルでは4つをテーマとして実施された。
- 尾道市の景観に調和したシンボル空間の形成
- 利便性や快適性の向上
- 移動回遊のバリアフリーへの対応
- 工事期間中の安全計画と利用形態およびコスト削減の配慮
プロポーザル時は円形の旧展望台を残して橋を架ける提案となっていた。それは、青木淳氏の既にある空間を大切にする思考からでてきたものであったのかもしれない。
しかしながら、旧展望台の狭隘さ、耐震性の問題やバリアフリーの問題から存続が不可能となり、計画は白紙に戻りかけたが、当初のような「橋のような建築」を残し、旧展望台の代わりにコンクリート製の緩やかな螺旋階段を設けることとした。
旧展望台 設計佐藤武夫
PEAKの特徴
幅3.6mに対し長さ63mに及ぶ一直線の展望デッキからはゆっくりと歩きながら尾道の街並みと尾道水道を大パノラマで楽しめることができます。尾道特有の坂道が作り出す魅力的な空間体験を展望台ではらせん階段という要素によって再現している。らせん階段とエレベーターシャフト、この2つの要素によって地上と展望デッキが接続され、回遊的な展望空間を作り出している。
特徴的な螺旋スロープにより展望台を見て楽しむことができると同時に螺旋スロープを歩きながら徐々に全容が見えてくる尾道水道の景色を様々な角度から楽しめるようにもなっている。また、手すりの内側はコンクリート、外側は角パイプの手すりになっていることで、風景の見える方に視線を自然に誘導するようなデザインとなっている。
エレベーターから出た展望デッキかは尾道水道が一望できる
青木淳氏が考える建築とは
建築は相手に何らかの意図を伝えようとしてつくられてきたものであり、そこには伝えようとするものがあります。まず明確に感じてほしいことがあって、それを伝えようとするから強いモノができる。それが建築における「強い力」ですが、青木淳氏が望んでいるのは、そういう意味の「強い力」を押し付ける力ではなく、違うタイプの強度。感じてほしい方向はあるが、そこに矛盾なり、ブレをつくっていくことが大切と考えている。そして、何がなんでもゼロから創造するというようなヒロイックな態度より、そこに既に存在している環境に潜りこんで、小さな声で囁くだけであるが、いつのまにかその環境を別のものに変質させてしまう、したたかな態度が建築であると考えている。
そこには、商業建築を多数手掛けてきた青木淳氏だから、建築が「つくり手」主導から「受け手」が価値を決める時代に移行していることを理解できている考えではないのだろうか。
PEAKは尾道の坂道に馴染んだ風景となり、それぞれの人々がそれぞれの思い出の場所となり、また訪れたい尾道のシンボルとなっていく。